塀の上ウォ〜ク

塀之上アユム


第5話・十月にあったこと

 こんなもんなんかなあ、とか思う。
 大学の夏休みってえらい長いくせに、後期との境界が曖昧で。僕の周りだけ? でも高校までの生活って、もっと夏休みと二学期のギャップも大きかった。制服のせいか、通学の時間が統一されてるせいか、それとも学校にいることがイコールなんらかの規律に縛られることになるからか?
 なんにせよ、ともかく大学ってのは今までどおりにいかない。こんなことを思うのは、僕がまだ高校生気分が抜けきっていない証拠かもなあ。
 とか思いつつ。
 そんなことはどうでもいい。問題は、とにかくみんな、学校に来ない、つうことだ。

 とりあえずニイヤくんに電話したら、なんと今さら帰省してることが判明した。
「いやぁ、夏休みマジ忙しかったからさ。やっと帰れたんだよ」
 なんて、呑気に言う。や、夏休み終わってるよ?
「大丈夫だよ。どうせ後期のはじめ1週間なんて、オリエンテーションみたいなもんなんだろ。再来週ぐらいには行くからさ」
 って、ヨユーで1週間以上帰省する気だし。
 僕は呆れたけど、結局はニイヤくんの言うことのが正しかった。最初の一週間、講義はどれも行っても行かなくてもいいような内容だった。しかも、よりによって台風が直撃したおかげで、半分くらいは休講になった。
 そのしょうもない1週間が過ぎた時点で、今度は箕輪さんにも一応、電話してみた。箕輪さんまで帰省してたりして、と思ったけど、さすがに違った。
「え、後期ってもう始まってる?」
 返ってきたのはものすごい寝ぼけた声。ひょっとして、ニイヤくん以上の強者? 箕輪さんらしいというか、逆にらしくないというか。
「始まってるよ。なにやってるの」
 なんとなく僕はちょっと茶化すような感じで(それはもちろん、親しみを込めてだ)言ってみたけど、箕輪さんは別に僕のそんな気持ちを汲むこともなく、以前と同じようなクールな口調で答えた。
「別に。そんじゃ、たぶん来週あたりから学校行く」
 なんだってみんな来週来週って言うんだろ。どうせ明日も暇なくせに。
 マトモに学校来てて、適当に喋れる相手は市川さんぐらいだ(別に喋んないけど、四本くんも初日の1限からしっかり来てた)。豪さんは夏休みが終わったことは知ってるらしいけど、以前と変わらず神出鬼没。講義も、たまに出てきたと思ったら出席カードだけ提出して消えたり。
 ああ、それと。
 睦月も、まだ顔見てない。

 で、僕はというと。
「学食飽きたから、外にご飯食べに行こうよぉぉ。良いお店知ってるからぁぁぁ」
 なぜか市川さんに誘われて、四本くんと一緒に、学校の外に連れ出されてたり、してる。
 なんつか、異例の三人組だよな。いや、考えてみりゃ夏休みも一緒に一泊旅行したんだし、そんなにおかしい組み合わせでもないか。いや、旅行なんて学科有志の勉強旅行って建前だし、やっぱおかしいか。相変わらず、僕にとっては二人とも謎の人物だし。
「で、どんな店なのよ」
 僕が聞いても、「行ってからのお楽しみぃぃぃぃ」とか、絶対教えてくれそうにないし。ホントどこ連れてかれんのか解んない。市川さんオススメの店なんて、絶対怪しい。マジでセンスおかしいし。
 今日着てるカットソーだって、なんだよその変な緑色。緑っていろんなニュアンスあるじゃん。なんでよりによってそんな、なんつうか枯れかかった若草色? みたいな緑を選んじゃうんだよ。
 あーあ、俺は貴重な時間を、一体どんな店に連れてかれて過ごすんだ!
 悲壮感たっぷりに心の中で叫んだ瞬間、まるで天から一筋降りてきた蜘蛛の糸みたいに、僕の携帯が鳴った。
 ニイヤくんからだった。

「あのさ、俺こないだ実家から土産もって帰ってきたんだけどさ、学校持ってくの面倒いから、ウチまで来ねえ?」
 電話が繋がるなりこっちの都合もなにも気にせず唐突にそこまで言い切ったことといい、その一方的な内容といい、全体的にニイヤくんらしい。僕は呆れながらも思わずニヤけてしまった。
「学校から一番近くに住んでるくせに、面倒いとか言うなよ」
「いいから来いって」
「だいたい、学校に持ってこれないほどの土産なんかもらっても、俺だって困るし」
 と、喋っている間にフッと右耳のあたりに殺気を感じた。どうやら『土産』というワードに反応して、斜め後ろを歩いている(道案内のくせに先導しない)市川さんが、らんらんと目を輝かせた気配。
 やばい。
 僕は彼女と目を合わせないように首の角度を変え、受話器を持ち直そうとした、が。
「いや、土産つっても酒だからさ。もうウチ来て飲んじゃえばいいって話……」
「わぁぁ。お酒だってぇぇぇ」
 瞬間、呆気にとられて、僕は自分が今どういう状態にあるのか解らなくなった。右手から左手に持ち替えようとした携帯は今や、僕のどちらの掌中にも存在せず、当たり前のように市川さんが握りしめてる……。でも、これは僕のせいじゃない。ニイヤくんの声が、やたら甲高くてデカいのが悪いんだ。
「あのねぇぇ、うちらちょうど三限休講なって、外にご飯食べに行くところだったの。ちょうどいいねえぇぇぇ。今からみんなでニイヤくんち行くね」
 勝手に電話を横取りして話を進める市川さんに、いつも割と一方的なニイヤくんもさすがに不意打ち喰らったような雰囲気。ほんの少しの間をおいて、電話の向こうで「え、つか『みんな』って誰?」とか、素でオドオドした。その間抜けな声もやっぱり甲高くてデカいから、受話器を持ってない僕のところまでちゃんと届いてて。
 たぶん、四本くんにも聞こえたんだろう。知らないけど、思わず四本くんと目を合わせて笑ったりして。それからお互いに、なんとなく照れくさいつか、気まずい空気になった。

「今さら行き先変更ってのもウザいよなー。学校にいるときに連絡くれれば、裏門出てすぐだったのにさ」
 ニイヤくんのアパートに向かう道すがら、二人を道案内しながら、僕はブツクサと文句を言った。僕らは学校から駅と反対方面、住宅地のほうに向かって歩いてたから、学校に戻るまでもなく、途中で道を曲がって例の道を通らなきゃいけない。
 で、問題はこの道。
「このさあ、西門から裏門までの一本道。ここ妙に長いっつうか、やたら単調でつらいんだよ」
 ウダウダ言いながらも、でも一人で歩くよりはマシかなと思ってる自分もいる。
 昼間だから、さすがにそこまで不気味なこともない。けどやっぱ、右手に学校(の窓のない面)しか見えず、左手には延々と高い壁がそびえ立ってる道は、人通りも多くなく、ちょっとした異次元みたいだ。
「この壁、なに?」
 ぼそっと四本くんが呟いた。市川さんはそれを聞いて、初めてその壁に気付いたかのような感動でもって返事をした。
「うっわぁぁぁ。なんかこの壁、めちゃ高いねぇぇ。5mくらいある?」
「いくらなんでもそんなにないよ。3mあるかないかってとこだろ」
 ボケのつもりなのか天然なのか解らないけど、市川さんに一応ツッコミは入れておいてあげた。しかし、不思議なもんだと思う。
 壁が、じゃなくて、自分が。
 高い壁に脅えながら真夜中に一人でこの道を歩いたのは、ほんの数ヶ月前の話だ。うん、夏前。ひとつ夏を越えたぐらいで、別に僕自身にはなんの変わりもないのに、この壁にはちょこっと、慣れてる。や、慣れたっつか、なんも感じなくなったんだろうな。
 恥ずかしながら、実を言うと前はホントに怖かったんだ。だってこの壁、高いし黒いし日当たり悪いし、向こうの世界について想像を膨らませるのにうってつけだもん。怪しい組織が人に知られてはいけない活動を行ってるんじゃないかとか、世間と隔絶しなきゃいけないようなヤバい人たちの巣窟なんじゃないかとか。
 ま、どう考えてもそれは現実的じゃない。でも、そういうつまらない想像とか奇妙な物語が、すごく似合いそうな壁だとは思う。
 だから、そう。そんな壁を見ても、特になにも想像しなくなってた自分に気付いて、ちょっとびっくりしたってことだ。
 うん。これが慣れってやつなんだろうな。

「この壁の向こうって何があるんだろうねぇぇ」
 僕はすっかり慣れて何も感じなくなったとはいえ、普段こんな道を歩いたりしない市川さんには、やっぱりもの珍しいものらしい。ちょうど夏前の僕みたく、いろいろ想像を膨らませた顔をしてるのが解った。僕は懐かしい子供時代を振り返るような気分で市川さんを見守る。
 けどやっぱ、すぐにそれは撤回。
「よぉぉぉし。ぷっつぃん召還☆」
「えー」
 突然張り切って叫んだその声に萎えすぎて、僕は思わず口を尖らせてしまった。僕にとって、彼女は得体の知れない回路の持ち主に違いなかった。でも、彼女はこういう状態になると当然周りのことなんか気にしないわけで、素知らぬフリで右ナナメ45°の空と会話する。
「ねぇねぇぷっつぃん。ミッチのお願い、聞いてくれるよね?」
「もちろんだよ、ミッチ」
「本当はこれ、アンドロゲンの得意分野なのよねぇぇ、同じ猫でもホルモンは高所恐怖症だったりするしぃぃ。ぷっつぃんはニャン子として、どう? この壁によじ登って、向こうを見てくることはできるの?」
 意味不明な単語が次々と出てくるので、思わず救いを求める目で四本くんを振り返ってしまった。ら、四本くんはしれっとした顔で「アンドロゲンとホルモンってのは、市川さんが飼ってるリアル猫の名前らしいよ」とか教えてくれた。
 つか、四本くんもなんでそんなこと知ってるかな。とか、呆れる僕の横でなおも市川さんの一人芝居(交信?)は続く。
「おいらキッドニャッパーvol.3、不可能なんてないのであーる」
「やったぁぁぁ。じゃあお願いね!」
「お安いご用さ。そのかわり報酬は……解ってんだろ?」
「かぁぁぁぁっ。や……やだぁ……ぷっつぃん、みんなの前で、私のこの可愛らしいお口からそんなコトを言わせるつもり……?」
 目をうるうるさせる市川さん。つか、『カーツ』って頭に血が上る(赤面する)音であって、台詞じゃないんじゃ……? なんかもう、見てらんないと思って、思わず頭を横からチョップして、ツッコんだ。
「いい加減、なげーよ」
 市川さんははっと慌てたように(一応、時々は周りが見えるらしい)、ウインクをしながら言った。
「よぉぉぉし、それじゃあぷっつぃん、行ってみよ♪」
 オイ本当に行かせんのかよ(?)と思いながら、見えないはずの猫の後ろ姿を一緒に追ってしまった自分のいいかげんさに、思わず苦笑。ちなみにやたら英単語に強い四本くんが「キッドナッパーって……児童誘拐犯だよな……」と確認するように一人で呟いていたのも聞き逃さなかった。
 結局市川さん曰く、
「あのねぇぇ、ぷっつぃんはポチャ猫たんだから、こんな高い壁に上れなかったんだってぇぇ」
 というわけで、壁の向こうに何があるのかは解らず仕舞いだった。どうせ解るとは思ってなかったから、いいんだけど。

 そんなこんなで、僕らは無事ニイヤくんのアパートに到着した。
 部屋の前に立つと、いつかのようにぶっといマジックでわけの解らん貼り紙はなかったけど、ベージュの塗装がところどころ剥がれている小汚い玄関ドアの向こうから、ぶっとい笑い声が聞こえた。
「あっ、豪さんだ」
 いち早く聞き分けたのは、市川さんだった。つうか、「おい、旨いなコレ。な。旨いよ。ヤバイ。ヤバ旨」とかいう、やたら上機嫌な興奮気味の声は、誰が聞いてもすぐに豪さんだと解るけど。
 とにかく僕らは、もうインターホンも鳴らさずにいきなりドアを開けた。
「みんなのアイドル、ミッチの登場だよぉぉぉ」
 市川さんが部屋に飛び込むなり叫んだけど、それにはニイヤくんが「うわ、テンション高いの来ちゃったよ」と一言反応したぐらいだった。僕らは特に大きな感動もなく、かといって嫌な(あるいはビミョーな)顔をされることもなく、普通に迎え入れられた。どうせ向こうは飲んじゃってるし、待たれてたって感じでもないけど、そん代わりこっちも別に急いだワケでもないしね、こんなもん。
 なんか、『当たり前のように』ユルユルな午後のひとときだな、と思う。でもその『当たり前』は、なぜか懐かしかった。

 四本くんは初めての家に来た割には別に緊張も興奮もしてなさそうなフラットな表情で「うぃっす」と呟きつつ、玄関にしゃがんで脱いだ靴を揃え始めた。なんともご丁寧に、何足も脱ぎ散らかされたニイヤくんの靴や、履き潰れてほとんどゴミみたいになってる豪さんのアディダスまで、全部。
 僕はこんなに健気な四本くんを放って部屋に入る気になれなかった。だからといって、別に手伝う気も特にない。そんな汚いもん、触りたくないし。とりあえず所在なく、玄関にぼーっと突っ立ったまま、相変わらず狭くるしくて小汚いニイヤくんのワンルームを俯瞰した。
 部屋の中では、ニイヤくんが鼻高々に抱える一升瓶に市川さんが飛びつこうとして、それを豪さんが横取りしようと目を光らせていた。ちなみに少し離れた窓際では、箕輪さんがコップ酒を傾けながら一人で涼しげな顔。みんな相変わらずだ。
 とりあえず人のグラスから酒を飲みかねない市川さんが心配になったので、僕は勝手知ったるミニキッチンの戸棚からグラスを3つ出しながら、誰にともなく言った。
「つか、ニイヤくんがみんなに酒を振る舞うなんて珍しいよね。いくら土産とはいえ」
 なにしろ昼飯さえ人に奢らせようとするニイヤくんだ。この部屋で飲むときはいつも酒持参。もしくは誰かが買ってきた酒を一円単位までワリカンすることが義務づけられてる(しかも、ニイヤくん本人は場所代だといってワリカンの頭数に入れられることを断固拒否する)。手ぶらでここへ来て酒が飲めるなんて、はっきり言って奇蹟だ。
 けど、ちょっと感心してしまった僕にニイヤくんは、悪びれた様子もなく答えた。
「まあ土産つっても家にあったもん勝手に持ってきただけだから」
 よく見れば一升瓶のラベルには越乃寒梅って書いてある。
「これって確か新潟の地酒じゃ」
「有名だろ。そんなこといちいち聞くなよ」
「ニイヤくんって実家どこ?」
「長野」
「全然帰省土産じゃないじゃん……」
 そんなこったろうとは思ってたけどさ。
 とにかく、そんなくだらないこと言ってる間に、四本くんがようやく靴を揃え終わったので、グラスをひとつ渡す。あと、あんまり飲ませたくないけど、市川さんにもひとつ。
 二人は頭を下げてグラスを差し出し、まるでニイヤくんから施しでも受けるかのように酒を注いでもらった。僕は、いくらタダでいい酒が飲めるからって、そこまで媚びない。カッコつけるつもりじゃなくて、これ以上の貸しがあるから(昼飯とか)。
 僕はニイヤくんが大切そうに抱える一升瓶を横から取り上げて、自分で自分のグラスに好きなだけ注ぐ。
「つか、まだ昼……だよね」
 瓶のキャップを締めながら誰にともなく言うと、四本くんだけが腕時計を確認して、「午後1時27分」と答えた。
 それを聞いてたのか、箕輪さんが一瞬、プッと笑った。

 何を祝してるのかは解らないけど、とにかく僕らはグラスをぶつけ合って、めでたいと言わんばかりに乾杯した。ごきゅっと一口飲んで、市川さんが言う。
「いいよねぇぇぇ、お昼間からおしゃけ」
 喜びを表現しているつもりなのか、いつもより声が半オクターブぐらい高い。
「うるっせーよ。つか何でお前まで来んの」
「ひっどーい、ミッチだってニイヤくんのご・学・友☆だよ?」
「自分で自分のことご学友とか言うな」
「まあまあまあまあ、いいじゃないか。タダで地酒が呑めると聞いてすぐに駆けつけない奴なんて、逆に狂ってるとしか思えん」
「だーよーねぇぇぇぇ」
「んでも、急に呼び出してもこれだけ人数が集まるって、それもある意味狂ってないか?」
「う……確かに」
「でもほらぁ、ミッチって、おうち厳しいからぁぁ」
「って、お前ん家の話とかマジどうでもいいし」
「聞―いーてぇぇぇ。いっつもねぇ、門限のせいで飲み会に行けなくてぇぇぇぇぇ」
「門限つかおまえ、こんな昼間から酒の匂いさせて帰るのはアリなのか」
「あははははは、そんなときはぷっつぃんに何とかしてもらうからだいじょぶ〜〜」
「だからそのネタ、マジでキモイから」
 会話が盛り上がってる(?)のはもちろん、市川さんとニイヤくんと豪さんの三人だけだ。僕はそっちに入れなくもないけど、なんとなく、窓際ですました顔をしてる箕輪さんと、そこから距離をとるでもなく近寄るでもない微妙なところに座ってみんなを見てる四本くんの間に入る。足許にはどんだけ読んだのか知らないけどボロボロになったスピリッツ(ひょっとして拾ってきたのか?)と、コンビニの袋がいくつかと、あと脱ぎっぱなしのTシャツと、その下に使用済みの靴下まであって、床が見えない……。ま、いつものことだな。とりあえず見なかったフリで、床の上のものをそのまま後ろにどけて、空いた場所に座って、箕輪さんに話しかけてみた。
「箕輪さんも、アレだよね」
 彼女は煙草をくわえたまま、変な口の形で聞きかえす。
「なによ、アレって?」
「学校には来ないのに、こういうところにはちゃんと来ちゃうっていう」
「あー、まあ……ね。たまたま今日はこういう気分だっただけ」
 やっぱり箕輪さんはかなりクールだ。あのライブの日のことなんて、まるでなかったかのように、頬をぴくりとも動かすことのない静かな声。なんだかなあ。話を盛り上げるって、難しい。
「しかし汚い部屋だよね」
 横ではボソっと、四本くんが静かではあるが辛辣なこと言ったりして。もちろん批判されてる当人は、まだ市川さんとぎゃあぎゃあやってて、聞いてない。
 それから僕ら三人は、掃除をしすぎる人と掃除ができない人の、双方の問題をあげつらったりしながら酒を呑んだ。向こうでは、よく解らないうちに始まった豪さんの演説に、市川さんがどう考えてもベクトルの違うすっとぼけた質問をしたり、それに対してニイヤくんが突っ込んだりしてた。どっちにしても、たぶんそれなりに盛り上がってた、と思う。

 気がついたら一升もあった日本酒はなくなって、西陽がダイレクトに射し込んでくるニイヤくんの部屋がオレンジに染まってた。
「はぁぁぁ、楽しかった。じゃあミッチはお嬢なので、これで帰りまぁぁぁし!」
 酔っていてもシラフでもあんま口調が変わんない市川さんが、ひょこっと立ち上がった。意外と足はしっかりしてる。ニイヤ家にいるみんなは、もうイイカンジに酔ってて、積極的に見送るわけでもなく、引き止めるわけでもないビミョーな空気。
 そんでも、もともと空気読めない市川さんは、一人で勝手に周りを見回して、言った。
「ニイヤくんもミノちゃんも来週から学校来るって言ってるし、これでやっと夏休み終わったって感じになるねぇぇぇ」
 満足そうな笑顔。でもたぶん、そんな言葉みんな適当に聞き流してた。だって豪さんは例によって寝ちゃってるし、ニイヤくんは休みボケみたいな顔をして空になったグラスをまだ傾けようとしてるし、四本くんは部屋をちょこちょこ片付け始めてるし、箕輪さんはやっぱりどんなに飲んでも大して変わらずマイペースに窓際で煙草吸ってるし。
 もう、さ。グダグダじゃん。
 まあ、少なくとも僕は、一応ちゃんと聞いてたけどね。市川さんって電波飛ばしまくってる割に、海に行ったときもなんだかんだみんなを統率してたし、ナニゲに友情に厚いっぽいところがあるな、なんて思いながら。でも別に相槌を打つでもなく。
 否定するほどのことはないし、頷いてやっても良かったんだけどさ。でも、頷けなかった。だって市川さん、ひとつ忘れてるじゃん。
 睦月がまだ後期に入ってから学校に一度も顔を出してないってこと。
 でもまあ、言わなくて良かった。市川さんも満足そうに笑って、一人でさっさと帰って、誰も疑問に思わなくて、それでいい。
 いいんだよ、大丈夫だ。
 睦月は結構しっかりしてる。夏前に学校来なかったのも、出席率を計算した上での行動だったらしいし、ちゃんと試験だって受けてる。単位はちゃんと取るつもりみたいだ。
 それに、僕が心配したって始まんねえよ。

 こんなもんなんかなあ、とか思う。
 うん、こんなもんだよな、大学生活とかってさ。

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