塀之上アユム
第7話・十二月にあったこと
2005年最後の日曜日は、クリスマスが絡んでるのもあって、街ごと異様に浮かれてた。だけど、そんな街を素通りして僕が向かったのは、いつものあの店。
そう、猫田の『だっぺえ』だ。
「俺が店を貸切りにしてやるから、学科の忘年会やろうぜ。全員は店に入らないけど、どうせ直前だし、20人集まればいいだろ。とりあえず、お前はぜってー来い」
ニイヤくんがそう言って僕を呼び出したのは、つい3日前のことだ。
「別にいいけど、俺、バイトあるから遅れてくよ?」
そんな答え方をしたけど、実のところ僕は、結構その誘いを待ちに待ってた。クリスマスパーティーとか忘年会とか、誰かやろうって言い出さねーのかな、とか思ってるうちに、大学が冬休みに突入しちゃったから。
でも、自分からみんなに召集かけるほどの熱意があるわけじゃなし──つか、家庭教先の教え子が受験まで二ヶ月切りながら、あと一歩判定が良くならないってのもあって、僕はこの冬、割と暇じゃなかった。冬期講習に行かせるから予習復習を見てやってほしいと頼まれて、断れなかったのだ。なにしろ今が一番大切な時期だから……ってのは建前で、ぶっちゃけボーナスも払うと提示されたバイト代が、かなり魅力だった。
僕と同じように、みんなもきっとそれぞれに忙しい冬休みなんだろうと思うことにした。なんか物足りないけど、帰省するヤツもいるだろうし、バイト三昧のヤツもいるだろうし、このままみんなに会わずに年越しだな──と、思ってたところに舞い込んだニイヤくんの誘い。そりゃあもちろん、行く。
考えてみればニイヤくんがみずから召集をかけるのは珍しいことで、それが軽い罠だったと見抜けなかったのは、やっぱクリスマスとか言って浮かれてるからかもしれないな。
「やぁぁだぁぁぁぁ、今、あたしの胸、見てたでしょぉぉぉぉ?」
暖簾のない入り口をガラガラ開けると、市川さんの耳に飛び込んできた。
うわー、出来あがっちゃってんなー。バイト疲れがビミョーに増加した気分。
でも──ま、いっか。せっかくの忘年会(クリスマスパーティー?)だし、楽しんだヤツが勝ちだ。そういう意味じゃ、市川さんってどっかぶっ飛んでるようで、いっつも勝ち組なんだよなー、とか思ったり。
あらためて店内をざっと見まわしてみる。
僕の思ったところの『勝ち組』は、どうやら一部の人間だけだ(そうじゃなきゃ、勝ちも負けもないか)。『勝ち組』が占領してるのは、店の奥にある小上がり。せいぜい6人が座れば一杯になる特別席だ。
その真ん中で女王様らしく男をはべらせてるのが、ほかでもない市川さんだった。クリスマスを意識してるのか、鮮血みたいな色のニットは胸元まで大きく開いたVネック。谷間が丸だしなのはサービスとしても、ブラヒモ(しかも色はエメラルドグリーン)まで見えてるのは、計算か……? なんにせよ周りの野郎どもは谷間に釘付けっぽいから、別にいいや。輪の中にさりげなく豪さんが紛れてるのが、また笑える。
異様な盛り上がりを見せてる小上がりから視線を手前にずらすと、あとはかわいいもんだった。4つのテーブル席は、静かすぎることも賑やかすぎることもなく、フツーの飲み会的雰囲気。
その中で、いちばん入り口(あるいは出口)に近い4人掛け卓の椅子が、ひとつ空いてる。空けておいてくれたんだと思う。
やっぱここが僕の席だよな、と、僕はブルゾンを脱ぎながら空いてる椅子を引いた。
「いっす」
小さく声をかけると、隣の箕輪さんが気づいて飲みかけのお猪口を高く上げた(たぶん挨拶のつもり)。対面にいる四本くんと、斜向かいに座ってる睦月も、「お疲れ」とか「やっと来た」とか口々に言って、普通に僕の到来を受け入れてくれた、らしい。
学科のみんなで飲もうとか言って集まっても、結局はこの面子が固まるんだよな。
こういうのって、悪くない。
それはそうと、この店の中で酔っ払ってない人間は今、僕以外にいなかった。
ニイヤくんが指定した集合時間の5時から、もう2時間少々が経過してる。僕が座ったテーブルでは、箕輪さん以外はたいして飲めるクチでもないくせに、みんなで日本酒をチビチビやってる。他のテーブルも同様。
でも僕は、一杯目からみんなと一緒に日本酒飲むって気分でもない。面倒くさいけど、カウンター席でぎゃーぎゃー騒ぐ集団の中にニイヤくんを見つけて、直訴した。
「あのさ、ナマチューくんない?」
ニイヤくんは、もはやサルみたく真っ赤な顔で、かなり酔ってる様子だ。僕が今来たばっかってことにも気づいてないらしく、怒ったように言う。
「今日はナマないって! 何度言ったら解んだよ」
そう言われても、今来たばっかだし……って助けを求めるような目で振り返ったら、箕輪さんがわざわざ席を立って来てくれた。で、妙に慣れた手つきで冷蔵庫から瓶ビールを、そして棚から未使用のグラスと栓抜きまで取り出してくれた。
「なんかね、今日はセルフサービスだって」
「は?」
「日曜ってこの店、定休じゃん? だから、店員さんはみんなオフなの」
学校のない日曜にわざわざ猫田まで来ることのない僕は、『だっぺぇ』に定休日があるとは知らなかった。ピンと来ない僕に、箕輪さんは怒った口調で説明を続ける。
「そんで、もともと今日ってここの店員たちの忘年会なんだって。なのにニイヤくんが、『どうせ店空けるなら、店員だけじゃ場所余るし、友達呼んで会費払わせましょうよ』って言って、みんなを集めたらしいよ」
「マジ? どこまで金の亡者なんだよ……」
言われて見てみれば、カウンターでニイヤくんと盛り上がってる連中って、学科のヤツじゃなくてここの店員じゃん。私服だから解らなかった。あ、一番奥にいるのは、店長だ。いつも頭にバンダナ巻いてるから気づかなかったけど、実はてっぺんの髪がかなり薄い。その部分が真っ赤になってるのが見て取れるほど酔っ払って、かなり上機嫌だ。
なるほど、罠は罠だが、引っかかったからには無礼講で楽しむしかない。
「んじゃ遠慮なく、ビール持ってきます」
って一応声かけて、箕輪さんが出したほかに瓶を3本出して、席に戻る。
しかし、僕はここでさらなる問題にぶつかった。テーブルにロクな食べ物が並んでないのだ。あるのは、もはやぐちゃぐちゃになった乾きものと、のり巻き(しかも、カッパ巻きと納豆巻きとかんぴょう巻きだけで、魚とか入ってないやつ)ぐらい。全てのテーブルがこんな状態だ。ひどすぎる。
「食べ物って、これだけ?」
ニイヤくんから予告された会費は、貸切り代込みで2000円。いつもの『だっぺえ』なら1800円でたらふく食って泥酔できるから、食べ物なしのセルフサービスで2000円は取りすぎだ。と、僕が訴える前に、箕輪さんが僕のグラスにビールを注ぎながら憎々しそうに言い放った。
「ぼられたのよ。ニイヤくん、絶対マージンとる気だよ」
対面では、四本くんが弱い微笑を浮かべながら、乾杯を促すポーズ。
「まあほら、セルフつっても時間制限なしの飲み放題らしいし?」
うん、確かにそれで2000円なら、決して高くないよな……と、僕が冷静さを取り戻したところに、今度は睦月が鞄の奥から何かを出しながら、ちょっと上目遣いで言う。
「バイトしてきてお腹空いてるでしょ? 食料が少ないって解って、さっきこれ買ってきたんだけど、良かったら食べて」
差し出されたのは、コンビニおにぎり。しかも、僕の一番好きなツナマヨだった。
睦月って、やっぱ最高。
何はともあれ、僕は三人と杯を交わした。僕のバイト先の教え子が割と崖っぷちなこととかを適度に面白おかしく喋りながら、雰囲気は、あくまで和やかに。
学祭の一件で気まずくなるかと思ったけど、箕輪さんはあれから態度を大きく変えるわけでもなく、普通に僕らと接した。なかったことにしてほしいんだろうと思うし、箕輪さんの隠された過去をひとつ知ったところで、僕の中で箕輪さんのイメージが変わるわけでもない(もともと謎が多いから)。
四本くんにも一応、あの話は今後しないように言っといた。市川さんも、漫画の中身までは見てないから大丈夫だ。僕が掘り返さない限り、平穏。
睦月との関係も、もちろん変わりない。
もっとも、睦月のほうは僕があの絵を観たことなんて、知らない。
この微妙な4人のテーブル、僕らはそれぞれ爆弾を抱えてる感じもするけど、解ってる。爆弾は、爆発さえしなきゃオッケーだ。
そんなこんなで、あっという間に僕もみんなに追いつくくらい飲んで、すっかり酔っぱらってしまった。
「お願いだ、揉ませてくれ」
小上がりでは豪さんが市川さんに土下座をする。市川さんが耳につく高音でキャーキャー言いながら、嬉しそうに身をくねらす。それと同時にカウンターのほうから聞こえてくるのは、ニイヤくんの叫び。
「つかマジで俺、童貞卒業したいっス。どうしたらいいんスか!?」
遠目に見ながら、僕はホッとする。
あの二人が同じテーブルにいたら、僕もいつものノリで、ちょっとしたエロネタが口をついて出てたかもしれない。でも、今日は自粛。箕輪さんにこの間のことを思い出させたらアレだし、睦月にはもっといろいろ思い出させることがある。
四本くんが酔っ払ってエロいこと言う人じゃないのも助かった。ちょっと冷静になれて良かった。
「受験なんて、ある意味くじ引きみたいなもんじゃん? だから俺はその教え子に、受験のためだけの勉強って思わせたくないんだよ」
とか、カッコつけて言ってみたり、ビミョーに賛同を得られなくて、カッコ悪かったりもするけど。
でも、地雷踏むよりはいい。
「こいつ、連れて帰ってくれよ」
赤く光るハゲ頭が渋い店長は、さすがに大人だ。締めるところはちゃんと締める。いつもつるんでるからという理由で、べろんべろんに酔っ払ったニイヤくんを僕に任せ、もちろん会費の2000円も忘れずに徴収し、僕たちを店から追い出した。
気がつけばもう電車は終わってた。しかも、学科のやつらはほとんどが知らないうちに、終電の前にちゃっかり帰ってた。四本くんも、トイレに行く振りをしていつのまにか消えてた。声ぐらいかけろよ!
「まあ、ここまで来たら、ニイヤくんちに泊まるしかないもんな。ついでに連れて帰ってやるか……」
つぶやいた僕に、声をかけてくれた天使たち。
「一人じゃ大変でしょ。付き添ったげる。ちょっと遠回りになるけどね」
箕輪さん、口調はクールだけど優しい。
「私も。今日はミノちゃんちに泊めてもらうことになったから。帰り道、一緒だね」
睦月、やっぱ可愛い。
思わずニヤけながら、千鳥足のニイヤくんの肩を担ぐ。と、僕の顔をまじまじ見たニイヤくんが一言。
「あっれ? お前、今ごろ来たの? 遅っせーよ!」
まったく、友達甲斐のないヤツだ。
僕らは苦笑しつつ、よっしゃ、そいじゃ四人で行きますかーと歩き始める。
そこに、てってってと近寄ってきた影がひとつ。市川さんだった。
「ミノちゃぁぁぁん。あのね、ミッチのお願い聞いてくれなぁぁぁい?」
僕や睦月には挨拶もない。単刀直入だ。
「今日、帰れなくなっちゃってねぇ、家に電話しなきゃいけないんだけどぉぉぉ、ミノちゃんちに泊まることにさせてもらっていーい? 実際には泊まらないけどぉぉ、電話でうちのパパと話をして、口裏だけ合わせてもらえないかなぁぁぁぁ?」
いつになく甘えた声。お嬢様だから門限が厳しいとか言っていつも早く帰るくせに、そんな汚い手も知ってるんじゃないか。僕は呆れたが、箕輪さんは「別にいいけど?」ってやっぱ優しい。そして、市川さんが手渡した携帯に向かって、完璧なまでに喋った。
「箕輪と申します……ええ、そうです。こちらこそ、お世話になってます……はい、学科の忘年会で……はい、大学のすぐ裏なんで、ここからもすぐ近くです……いえいえ、とんでもないです。大丈夫ですよ」
ともすれば冷たい印象しか与えない喋り方は、こうしてちゃんとした言葉を喋ると、冷静で信頼できる感じになる。市川さんが箕輪さんに頼んだのも、納得だった。
「ありがとぉぉぉぉっ! ミノちゃんに超絶ハッピーで最高にラブアンドピースな新しい年がやってきますよぉに☆」
アリバイ工作を終えた市川さんは、僕らにめいっぱい投げキッスの暴投を浴びせると、「よいお年を〜〜〜〜」という声を静まりかけた猫田の街に響かせながら、スキップみたいな足取りで駅前広場へと走っていった。
ひとつ仕事を終えた気分(あるいは台風が過ぎ去った後のような気分)で気を取り直し、僕らは改めてニイヤくんちに向けて足を進める。歩きながら、なんとなはなしに市川さんの後ろ姿を目で追ってたりしてた、ら。
「え?」
「あれ?」
僕と箕輪さんの驚きが、同時に声になった。
市川さんは、小上がり集団で飲みなおしに行くんだろうと思ってた。あのノリならカラオケかも、とか勝手に思ってた。
でも、駅前で市川さんを待ってたのは、豪さん1人だった。しかも、豪さんは市川さんと合流するなり、その腰に手を回した。
2人は身体を寄せ合った体勢のまま、路地のひとつに消えていった。
「見た?」
誰にともなく言うと、箕輪さんと睦月が頷いた。ニイヤくんも酔ってる割にしっかりちゃっかり状況は認識してるらしく、叫ぶ。
「あの路地の先ってさあ、住宅街の中に一軒だけアレがあるよな、アレ。ラブホ、なあ。すっげボロくてさあ、なんてったっけ、ヘンな名前の」
「サンディエゴなんとか、って」
箕輪さんが答えた。
不意に、僕と睦月の目が合い、すぐに視線は逸らされた。どちらからともなく。
「あー、そうそう、サンディエゴが……なんだっけ。なあ、おまえら知らない?」
もはや僕の腕を振り払い、自由な千鳥足で夜の猫田を徘徊しながら、ニイヤくんが僕と睦月に話を振る。
僕が知ってるとも知らないとも答えられずにいると、少しの間を置いて睦月が「知ってる」と言った。何も言わなければ、逆に怪しまれると思ったのかもしれない。
「『サンディエゴまで100マイル』、だよ」
語尾が完全に消え入りそうになったその声が、睦月の羞恥心を逆に引きたてた。
「ダサっ。絶対そんなホテルでやりたくない」
箕輪さんが言って、ニイヤくんがげらげら笑う。
街灯に照らされた睦月の顔が、赤く染まってるのかは解らない。でも、睦月が恥ずかしそうな表情をしてるのは確かで、それは、あの春の夜に『サンディエゴまで100マイル』というホテルで自分が本当に睦月を抱いたことの、証明みたいにも思えた。
「ちょっとー、まっすぐ歩いてよ」
狭い道を右へ左へ蛇行しながら先走るニイヤくんを、箕輪さんが追いかけて、脇からガッチリ支えたのが見えた。僕が放ったらかしにしたせいだ、ごめん。でも今はちょっと動揺してるから、許して。
後方5メートルから、ニイヤくんよりも気持ち背の高いくらいの箕輪さんを「逞しいなあ」と思いながら、眺める。いつのまにか、僕の隣を睦月が同じ速度で歩いてた。箕輪さんは何かに気づいてるのか、それとも単にニイヤくんを支えるのでいっぱいいっぱいなのか、こっちを振り返ることもない。
「そ、そういえばさ。睦月が学科の飲みに参加するのって、珍しいよな」
喋らないのも気まずい気がして声をかけたら、睦月はふいっと目を逸らして、答えた。
「実は、新歓コンパ以来、初めて」
「え、っと。あ、そうだっけ?」
それって、僕とああいうことになって以来って意味? 一瞬訊こうとして、言葉を飲みこんだ。
自意識過剰、だよな。内輪で飲んだりすることは多くても、学科の飲み会ってのはそもそも少ない。今日が4回目だ。新歓に続いて、夏前に第2回があったけど、それはちょうど睦月が学校に来てない時期だった。第3回はついこの間、学祭の打ち上げ。僕も睦月も学科の展示に参加しなかったから、呼ばれてない。新歓以来なんて、全然不思議でもなんでもない。だよな?
って僕の心を読み取ったのか、その疑問に答えるかのように、睦月が付け足す。
「学科の子たちと、今のうちにちゃんと仲良くしておきたいなって思って」
「今のうちって。大学生活、まだまだ長いよ?」
「うん、でも……」
睦月の言葉が途切れた瞬間、前のほうでニイヤくんの胴を必死で押さえてる箕輪さんが、「ちょっと、手伝ってよ!」と叫んだ。
「ごめんごめん」
謝りながら駆け寄ってくと、さっきまで普通に喋ってたニイヤくんは、もう半分寝てるような状態。さすがに箕輪さん1人で運べる状態じゃない。
「あー、もう面倒いから、おぶってくよ」
僕の言葉に、ようやく箕輪さんの顔から苛立ちが消えた。
実際、おぶってしまえば楽なものだった。ニイヤくんぐらいチビでヤセの男は、下手するとそこらへんの女の子より全然軽い。小学生みたいなもんだ。歩きながら、箕輪さんたちと話をする余裕まであるくらいだ。
「そーいえばさ、この道って、なんかキモくない?」
夜にニイヤくんの家に向かうとき、かならず通る場所。左手延々とそびえ立つ高い壁を見上げながら、僕は二人に言った。
一人で通ったときは、鬱になるほど不気味だった。夏休み明けに四本くんたちとここを通ったときには、市川さんの電波な寸劇まがいを見せられたっけ。
そんで、今。
「この壁の向こうって、何かあるの?」
別に感嘆も恐怖も滲ませない声で、箕輪さんが言う。
少し後ろを歩いてる睦月を、肩に乗ったニイヤくんの頭ごしに振り返る。睦月はどことなく懐かしそうな表情で、壁のてっぺんを左から右へ目でなぞりながら、小さく言った。
「知らないほうが、謎めいてて面白いんじゃないかなあ」
「え、何か知ってんの?」
思わず大声を出した僕に対し、睦月はまるで子供を諭すように小さく首を横に振った。
「知らないけど、私、高校もすぐ近くだったから。うちの高校ではこれのこと、『ムラオカの塀』って呼んでたんだ」
「なにそれ、どういう意味?」
箕輪さんが訊いたけど、睦月は笑って「さあ」と肩をすくめただけだった。
僕は、ニイヤくんの重みを身体に感じながら、そして女の子2人の穏やかな会話を耳に挟みながら、なんとなく、考えてた。
壁と塀の違い。
むやみに謎めいて、威圧的に立ちはだかってるように見えた僕にとって、これは確かに『壁』だった。
でも、そうか。実際にはこれって、『塀』なんだよな。
単に敷地を区切るためのもの。ちょっと目隠しをするためのもの。あるいは、侵入を防ぐためのもの。
ただ、それだけだ。
そう考えて眺めてみれば、言うほど不気味なもんでもないような気がする。
何のためにこんな高く作ったのかは、やっぱ謎だけど。
いろいろ考えすぎかもな、とか。
身構えすぎじゃないか、とか、思ってみたりした。
睦月の本心も、箕輪さんの趣味も、ニイヤくんの金への過剰な執着も、豪さんの過去も、市川さんの頭の中も、四本くんが持ってる情報網も、なんもかも。
考えてみたら、みんな謎だらけで、そんでも、大学生活はなんとかなってる。
来年はどんな年になるだろう──なんて、なんも考えずに新しい年を迎えるのもいいかもな。
どうせ世の中、考えたって解らないことだらけ、だろ。
Copyright(C)2005-2006 Ayumu Heynoue ![]()