Peach Time (1)
 

   
 ただでビールを飲めると言われたのだ。そそくさと帰るわけにも行かない。
 草平は、閉店後のマルディグラの店内で、既に出来ている人の輪の中におずおずと入っていった。
 マルディグラは、草平の住む街から二つ隣の駅を降りてすぐのところにあるレストランバー――と自称しているが、どちらかというと若者向けに小洒落た内装を施した居酒屋である――で、草平は先週から週二〜三日のだいたい夕方から閉店までの時間を、ここでのアルバイトに費やすことになった。今のところ彼の仕事はもっぱら皿洗いだ。
 店長は他の店も経営しており、滅多に会う事がない。ねむさんと呼ばれているベテランのアルバイトが、仕事の能力を買われてほとんど取り仕切っており、その下で草平を含め九人のアルバイトがシフトで勤務している。草平は今日の出勤で三回目だが、今までシフトが重なったのは四人だけだから、まだ半分の同僚の顔を知らない。面接のときの話によると、学生バイトは草平のほかにもう一人しかおらず、もう少し年上のフリーター、とりわけ、影でこっそりミュージシャンや役者や芸人を目指したりしている人が多いらしい。そういう人たちを応援するのが、店長の趣味のひとつなのだ。

 そのマルディグラが今度、新メニューとして地域限定の地ビールを導入することになった。その試飲会をするということで、草平は珍しく、
「シフト入ってないみんなも集まるから、片づけが終わったらホールにおいで」
と声をかけられたのだ。
 草平がいつものとおりすべての食器を洗い、厨房の掃除を済ませてからホールに出てみると、既に皆が草平を待っていて、
「今日は草平くんの歓迎会も兼ねるから」
 などと言いながら、草平の手許にあるグラスにビールを注いだ。
 草平は、多少の人見知りはするが、周囲とはすぐに溶け込むくらいの努力はできる。酒も嫌いではないので、中ジョッキをひとつ空けた頃には、先輩たちともすっかり馴染んでいた。特に自己紹介などはしなくとも、彼ら同志の会話を聞いていれば、誰が何と呼ばれているかくらいは、すぐに把握できた。
「お前ら、これ新商品なんだからさ、そんなに飲むなよー」
 ねむが、会話の盛り上がってきたバイトたちに声をかける。ただで飲ませてくれるとはいえ、それは「どんなに飲んでも良い」という意味ではないことに、全員がその時になって初めてのように気付いた。
「じゃあ二次会ってことでどこか他の店に飲みに行こうか?」
 あんじ、と呼ばれている女の子が提案した。女の子と言っても、彼女はこの中ではかなり年長の部類かもしれない。いかにもリーダー格といった感じの空気が漂っており、当然のようにほとんど全員がそれに同意した。川崎と呼ばれる男だけが「ごめん、俺は今日はもう帰らなきゃ」と言って皆と店の前で別れたが、結果的には八人が残った。草平と、瀬名と呼ばれる男のほかは、全員が女の子だった。
「ねむさんも行こうよー」
 一見おとなしそうなあやこが、しきりにねむを誘っているのを見て、草平も「そうですよ、一緒に飲みましょう」と言ったが、彼はまだ仕事が残っているからといって、事務所に戻っていった。

 飲み会は大変盛り上がった。会話もずいぶん弾んだ。草平は、ほとんど初対面の女の子たちと話をする機会など、今まではあまりなかったので、かなり緊張はしていたのだが、瀬名がいろいろと教え、カバーしてくれたのだ。
「草平って、何歳?」
 いきなり呼び捨てにされたのにはさすがに驚いたが、草平は素直に答える。
「二十歳ですよ」
「ああ、じゃあネコちゃんと同じだ」
「ネコちゃん…?」
 草平が怪訝そうな顔をすると、一人の女の子が「私、私!」と名乗りをあげた。確か、芹沢さんという人だ、と草平は思い出した。
「芹沢さんは、どうしてネコちゃんって呼ばれてるんですか?」
「本名だもん。音に子って書いて、ネコって読むの。覚えておいて」
「へえ」
 しばらく音子と会話を続けていたところ、草平は意外と普通に女の子としゃべっている自分に気付いた。初めこそ、自分のしゃべっている相手との会話をするだけしか余裕がなかったものの、少しずつ、周りの会話も盗み聴きながら話をすることもできる。
「だーから、あやこ、ねむさんのことばっか話しすぎ!」
「え、そんなに話してますか? 私……」
「話してる、話してる。ていうか恋しちゃってるね、もう完全に」
「だめ、そんな大きな声で言わないでください!」
 あんじが少し酔った様子であやこのことをからかっているので、草平は少し調子に乗って、話に顔を突っ込んだ。
「そういえば、あやこさん、さっきもずいぶん熱心にねむさんを誘ってましたね」
 そういわれたあやこは、顔を真っ赤にして、「ほら、大きな声出すから草平くんにバレちゃったじゃないですか!」とあんじに突っかかったが、同時にその脇からは、こんな声が飛んだ。
「いいじゃんねー、店内恋愛賛成!」
「さんせーい!」
 いつも一緒にいる女の子二人組が、仲良さそうに手を繋ぎながら騒いでいる。二人とも小柄でキャッキャと話をしている姿はまるで十代の女の子だが、本当は、草平よりは年上のはずだ。彼女たちを横目で見ていると、隣にいた智が、草平にこっそり話し掛けてきた。
「藤宮ちゃんとチヨちゃん、ほんと仲良いよね。店内恋愛って、ひょっとして自分たちのこと言ってるのかな?」
「ええ? だって二人とも女の子じゃないですか!」
「好きになる気持ちに、性別なんか関係ある?」
「それは……」
「あはは、あの二人については冗談だけどね。二人ともちゃんと彼氏いるから」
「なんだ……驚かさないでくださいよ」
 草平は、そう言いながらも、智に少し好感をもった。いつも物静かに働いている印象だったが、意外と気さくで話しやすい。
 (本当に、今日はたくさんの人と喋ったな。大学の新歓コンパに無理やり連行されて以来、こんな飲み会は初めてかもしれない。)
 草平がそんな風に思いながら、すっかり皆について詳しくなったような気になった時、あんじがふと言った。
「やばー! もう一時半じゃん」
 確かにもうそんな時間だった。とうに電車など動いていない。と言っても、終電も気にせず飲めんでいるほど、皆は近場に住んでいる。問題は、あんじと智の二人が、明日もランチの時間帯からシフトに入っていることだ。
 時間も時間なので、今日はお開きにしようということになった。

 店を出て、草平はとりあえず、歩きだったり自転車だったりタクシーを捕まえたりする女の子たちの帰路を、瀬名と見送った。それから、自分はどうやって帰ろうか、悩んだ。二駅分くらい、歩いてもたいした距離ではない。が、疲れているのでタクシーに乗ったほうが楽だとも思う。しかし、学生の片手間にアルバイトをしている自分には、タクシーなどは贅沢だ。そこで、瀬名がもし自分と同じ方面なら、彼とタクシーを相乗りすればいいのではないか、と思いついた。
「瀬名さんはどっち方面ですか」
 草平が訊くと、瀬名は意外にもこう答えた。
「お前んちに泊めてくれないかな」