Peach Time (3)
 

   
 説明を求めたほうが良いのだろうか。
 あの夜は、「タクシー代は持つからさ」などと言われたのもあって、よく解らないまま、草平は瀬名を家に連れ帰ってしまった。
 人を一人泊めるくらい、別に大騒ぎするほどの事ではない。部屋だって空いているのだ。草平は、「ま、仕方ないか」と、どこかで思っていた。というのも、草平の家族が現在離散中だからだ。
 複雑な事情があるわけではない。昨年、父親が三年ほどシンガポールに赴任することになったのと、姉が短大を卒業して就職するのと、草平が大学に合格したのが、全て同じ時期に重なったのだ。そこで両親は、子供から手がはなれるのをいいことに、二人してシンガポールに行ってしまった。そして、住んでいた持ち家を人に貸し、その賃貸料で草平と姉が二人で住むための2LDKマンションを借りてくれたのだ。
 つまり、草平は現在、姉と二人暮しのはずである。が、実は今、姉はこの家へ帰っていない。半年ほど前から足が遠のき始め、今ではすっかり帰ってこなくなってしまった。彼女の荷物は少しずつ減っていって、今やベッドなどの大型家具を残すのみである。はっきりとは言わないが、姉に恋人が出来たのは明白だった。草平は、別にそのことを問いただしも、両親に密告することもせず、姉がそれでいいなら自分も気が楽だ、などと思いながら、2LDKに一人で暮らしている。

 そんなわけで、家も広いし、姉のベッドも空いているし、どんな事情があるのか知らないが、瀬名を一晩泊めてやるくらいは、まったく問題ないと思ったのだ。
 「広いな、お前ん家!」
 玄関を空けるなり驚いた顔を見せた瀬名をとりあえずリビングに通し、草平はそういった自分の家庭の事情を話した。あらためて二人で顔を突き合わせていると、草平は自分が瀬名に比べてずいぶん格好悪いな、と思った。瀬名は背がすらっと高く、顔もきりりと男前で、雰囲気がなにか華やかだ。それでいてとても気さくで、話題も豊富だし、女の子からも相当モテるに違いない。自分とは正反対だから、どこか反感と憧れの混在した複雑な気持ちになる。
 姉の部屋の空いているベッドに案内すると、瀬名はすぐに寝てしまった。草平は、もう少し話をしても良かったのに、と少し物足りなく思ったが、どうせこれからも機会は沢山あるだろうと思い、自分も床についた。まさか、機会が沢山あるどころではなくなるなんて、この時点で草平は予想もしていなかったのだった。
 あの夜からずっと――かれこれ十日ほど、瀬名は草平の家に入り浸っている。もう、住んでいると言ったほうが良いのかもしれない。とはいえ、瀬名はマルディグラでの仕事が終わった後でも、また飲みに行ったりクラブで遊んだりしているので、草平の家にやってくるのはたいてい朝方である。草平が大学へ出かけてから、授業を受けて帰ってくるまでの時間、瀬名は草平の家で寝ている。
 一番初めにそういった状況になった際、草平は自分が留守の間に瀬名が鍵もかけずに外出してしまったら当然困るので、彼にスペアキーを貸与したのだが、それがいけなかったのかもしれない。スペアキーは、もはや瀬名の所有物のようになってしまっていた。
 信頼がおけないというわけではないし、別段迷惑でもない。ただ、だからといって一緒に暮らすという話になった覚えはない。家に帰らない(もしくは、帰れない)事情があるなら、きちんと説明してくれれば納得するものを、今のところそういった気配がない。瀬名としては、ここに住んでいるというよりも、単に入り浸っているだけという感覚なのかもしれないが、いずれにせよ草平にとっては同じ事のように思えた。

 「おまえ、何か最近疲れてない?」
 四限の授業が終わり、家に帰るといって立ち去ろうとした草平に、伊勢が声をかけた。草平と彼とは同じ学科で、同じ授業をたくさん取っている関係で知り合い、学校では割とよくつるんでいるのだ。
「疲れてるように見える?」
 草平は咄嗟におどけて見せたが、確かに自分が疲れていることは感じていたので、意外と鋭い観察眼を持っている友人に今まで以上の好感を持った。
「そういえばバイト始めたって言ってたもんな。忙しいのか?」
「そうなんだよ。バイトを始めたら、うちに居候ができちゃって」
「はぁ?」
 伊勢は、素っ頓狂な声をあげて、少し間を置いてから、草平がそれ以上の説明をしないことを責めるかのように、もう一度素っ頓狂な声で叫ぶように言った。
「意味わかんねえ。話つながってないよ」
 友人に私生活の事を話すのはあまり得意ではない草平だが、伊勢は疲れた顔をしている自分を割と本気で心配してくれる種類の友人のような気がしたので、現状について説明した。元来頭の回転が早い伊勢は、ほんの少し説明をしただけですぐに草平の状況と気持ちを汲み取った。そして、「その瀬名ってやつに、事情を聞いてやるよ。事情が解ればお前としても問題ないんだろう?」などと、意気揚揚と草平の家へ向かっていった。
 飲み込みも早いが、行動も早い。草平すら、そのスピードに気持ちの切り替えが追いつけなかったが、とにかく自分の家へ案内することにした。

 伊勢を伴って草平が自分の家に帰ると、玄関に見慣れない大きな靴が何足も転がっている。よく注意してみると、姉の部屋から、瀬名と複数の男の話し声が聴こえる。
 草平は不審に思い、姉の部屋のドアを叩きながら「瀬名さん、瀬名さん!」と、やや大きな声を出して呼んだ。瀬名はすぐにドアを開け、伊勢の姿を認めると、草平に向かって言った。
「おお、お前の友達?」
 既に家主のような風格である。草平は上司に芳しくない仕事の報告をするサラリーマンのように多少うなだれながら答えた。
「そうです、大学の同級生で……」
「どうも、伊勢ッス」
 覗き込むと、瀬名の周りには男子高校生が三人ばかり、すっかり寛いだ様子で座り込んでいる。
 草平は訝しがりながら、瀬名に訊いた。
「こちらの方たちは?」
「こいつ、椎名優希。実家が近所で、昔から妙に俺になついてる変なヤツ」
 瀬名のすぐ隣にいる、見るからにナイーブそうな、色の白いひょろっとした男子高校生が、ペコリと頭を下げた。
「で、あと二人は?」
「優希の友達。なんだっけ?」
「こっちがゆうしん。こっちが浅見」
 眼鏡の子がゆうしんで、坊主頭の子が浅見というらしい。がしかし、この際草平にとって彼らの名前など関係ないのである。
「何をしにこちらへ?」
 草平が、あくまで冷たい態度を貫こうとしているのは明らかだった。その冷たさに押されて、ゆうしんは後ずさり、浅見は「ぼ、ぼくは優希に付き添って来ただけです」などと答えている。
 すかさず、伊勢が二人を追及して言う。
「じゃあ、用があるのは、その繊細そうな少年だけか?」
 伊勢は普段は穏やかな顔をしているが、何しろ野性的な風貌をしているので、少し睨みを効かせるだけで、怖い顔になる。
「どういうご用件で?」
 草平も負けじと、口を出した。彼もまた、目が悪いのに矯正していないせいで、普段から目つきが悪いと言われている。その目で彼らを睨むと、付き添いで来た二人の顔に緊張が漲った。
 もとより、優希はやたら緊張しているようだった。あまりに緊張しているその顔を見ると、草平も責めるばかりでは可哀相だと思い、一転して外向けの笑顔を見せた。
「まあとにかく座ってよ」
 草平の住むマンションがいかに広いと言っても、一部屋に男が六人も集まれば、かなり空気がむさくるしくなる。草平は、とにかく皆にお茶でも出そうと思った。が、よく考えると湯飲みが五つしかないので、もてなしをするのは辞めて、床に胡座をかいた。
「実は、草平さんにお願いがあるんです」
 妙な空気の中、思いつめたような顔で優希が口を開いた。
「自分も瀬名さんと一緒に、ここでしばらく暮らしたいんですけど」
 突拍子のない優希の不意打ちに、草平は思わず言葉を失った。その代わりに伊勢が、今日来た本来の目的も兼ねて、言う。
「瀬名さんって人は、そもそも頻繁にここに泊まりにきてるだけで、ここで暮らしてるわけじゃないだろ」
 伊勢に言われて、瀬名が、意外だというような顔をした。草平すら、この男子高校生の件で混乱していて、瀬名の問題を忘れていたくらいだったから、当然かもしれない。
「頻繁に泊まりに来てるのと、暮らしてるのって、そんなに違うか?」
 瀬名の言葉に、伊勢は明らかにムッとした顔をした。
「違うだろ。だいたい、ここはあくまで草平ん家だし」
「だから、優希も俺にじゃなくて、草平に頼んでるんだろ」
 草平は、もはやこんな問答は無駄にしか思えなかった。暮らすという定義が違っているのだから仕方ない。面倒なので、とにかく優希だけは帰らせるべく、言った。
「ひょっとして家出少年なの? だとしたら、荷担なんかしないよ。誘拐とか言われたら厭だし」
「大丈夫です、ウチの親は俺がいなくても別に心配しないですし、友達の家に泊まってるって言っておきますから」
「そこまでして何でここに暮らす必要があるんだよ?」
「瀬名さんは昔から僕の師匠みたいなもんで、もっといろいろ教わりたいと思ってたんです。サーフィンとか、夜遊びとか。僕、来年には受験生になるし、いろいろできるの今しかないんですよ」
 草平は、伊勢と顔を見合わせた。呆れているのは自分だけではないというのを確認しあうような顔をしている。
「まあ、遊びたいってのは俺たちの知ったことじゃないし、勝手にすればいいけどさ」
「そもそも、瀬名さんはここに暮らしているわけじゃないってのが問題なんだよ。ただ、泊まりに来てるだけだし」
「うん。瀬名さんが自分の家に帰って、君もそこで暮らせば良いんじゃないの?」
「いや、そのことなんだけど」
 次々と優希に畳み掛ける二人を遮ったのは、申し訳なさそうな顔をした瀬名だった。
「俺、今ちょっと訳あって自分の家に帰れないんだ。しばらく、ここに住むことにさせてもらえないか? 少しなら家賃も払うし」
「家賃とかの問題じゃないんですけど。……なんで自分の家に帰れないんですか?」
 ようやく草平は以前から疑問に思っていたことを口にできた。
「事情があるなら、話してくださいよ」
 瀬名は黙り込んでしまった。深い事情があるのかもしれない、と草平は思った。
「近所の人と折り合いが悪くて追い出されたとか?」
「借金取りに追いまわされてるとか?」
「押入れに腐乱死体が隠されれてたり?」
「あ、解った。ヤバイことに関わって悪の組織に追われてるんだ?」
「ってどういう世界の話ですか!」
 いつものノリで脱線した草平と伊勢の会話に、思わずゆうしんが突っ込んで、皆が笑った。こんなことを話している場合ではない。草平は思ったが、もはや和やかになってしまった雰囲気の中で、瀬名に真実を訊くのは、不可能のように思われた。
 瀬名は、暗い表情で黙り続けた。