Peach Time (6)
 

   
「最近、椎名くん変わったよね」
 隣の席の里美が突然声をかけてきたので、優希は飛び上がるほど驚いた。
 そもそも女の子のほうから声をかけてくるなんて、優希にとってはそれだけでかなり特異な出来事なのだが、ましてや、その相手が里美だなんて。
 勿論、彼女は隣の席であり、今は自習とはいえ授業中であり、単なる暇つぶしに話し相手にさせられている可能性はある。それはもう十分にある。
 しかし、隣の席であるにも関わらず、優希は今までほとんど里美と会話をしたことがなかったのだ。それは、彼女が一見大人しそうに見えるから、というのもあるけれど、むしろ、彼女がかなりおしゃれにこだわりを持っている感じのする可愛い女の子で、優希にとって高嶺の花といった感じがするからである。
「そ、そう? どこが変わったかな?」
 内心は飛び上がらんばかりの状態だったが、きわめて落ち着いたふうに装って、優希は答えた。もっとも、慣れないことなので声はうわずっているのだが。
「なんかちょっと垢ぬけたってかんじ」
「ほ、ほほほ本当? いやあ、最近夜遊びとか覚えちゃってさ。すげーカッコよくてガンガン遊ぶ先輩がいるんだ」
 優希がそう言うと、里美はすこし白けた顔になった。
「なぁんだ。彼女でも出来たのかと思った」
「えっ!」
「そのくらい、なんか、良くなったよ。でも、ということは……まだ……なんだ?」
 里美が首を傾けて、含むように言う。
 うっすらと笑いを浮かべた顔に、セミロングの長い髪がかかって、意外な色っぽさに、優希の背筋はゾクっとする。あまりものを深く考える余裕もなかったので、つい成り行きに任せて答えてしまう。
「いやあ、まだまだ童貞っすよ」
「は?」
 里美はうっすらと笑いながらも、怪訝そうな顔をした。
「別にそういうこと訊いてるんじゃないんだけど」
「え?」
 優希もきょとんとする。
「だって『まだ……なんだ?』なんて言われて、他に何があるっていうの?」
「『まだ、りさのこと好きなんだ?』」
 今度は、あらぬ誤解をされないように、里美もはっきりと言う。
 優希としては、意外な方向から槍が飛んできて、心臓が止まる思いだった。
「なんでそんなこと知ってるの!」
 授業中なので、声は出せない。その分、優希はオーバーな表情でその驚きを表してみた。里美は、その顔が面白かったのか、見て小さく笑った。
「結構有名。椎名くん解りやすいから」
「いや、そんなの昔の話だよ。今は全然。まじで、関係ない」

 りさは、優希が一年の時のクラスメイトだ。特に美人でもない普通の女の子だが、とても明るくて、よくバカな話をして笑いあっていたものだ。ウマが合う、とはこういうことを言うのかもしれない、と優希に初めて思わせた女の子だった。
 二年に進級して、りさとはクラスが離れた。そうなって初めて、クラスが一緒でもなければ、特に会話をする機会もなくなってしまう程度の関係だったのだと気付いた。
 それが、割と寂しかったので、そうか、あれは恋心のようなものだったのだ、と思った。そして、今はただそれだけだ。と、優希は思う。
 恋心のようなものだったからといって、別にどうなるわけでもなかった。りさとは会話もしない関係になってしまったし、おまけに、今はもう、りさには彼氏がいる。同じく一年のときに優希と同じクラスにいた佐藤遼太。認めるのは癪だが、ジャニーズ系でかなり可愛い顔をしていると女子には評判だった。確かに、顔だけ見れば、文句の付けどころがない。性格も、まあ良いかも知れない。
 頻繁に会話をしていたころ、りさは優希にも、佐藤のことを「カッコいい」などと話していた。ただ、佐藤はきわめて大人しくて目立たない存在だったので、優希はまったくたかをくくっていたのだ。いや、どちらかというと、顔は良いのにあれほどモテない奴も珍しい、と小馬鹿にすらしていた。だから、りさのほうが、そんなに本気になっているなんて、まったく気付いていなかったのだ。
 あの大人しい佐藤が、りさと仲良くなるはずがない。「優希って、いっちばん話が合う友達」だと言われたこともあるし、りさと一番近くにいたのは優希だった、はずだったのだが。
 「友達」という言葉が、本当に「友達」という意味だったことに、優希が気付いたのはずっと後の話である。
 りさが積極的に近づいていくに連れ、佐藤は自然と、少しずつ心を開いた。気がつけば、二人は恋人同士だった。それも、二年でも里美と同じクラスになった友達の浅見から聞いただけの話だ。

 少し考えるようなそぶりを見せた後、里美が思い切ったように言った。
「りさ、佐藤くんと別れたってよ」
「え?」
「やっぱり、知らなかったんだ?」
 里美はけしかけるような眼で優希を見つめた。
「だから、もう関係ねーもん」
 優希は少しうろたえながらも、きわめてクールに装った。もっとも、頭の良い里美にはそれがあくまで表面的な装いであると解っているのだろうが、それでも取り繕わなければならないことが、男にはある。
 瀬名先輩だったら、こんなことでいちいちうろたえないんだろうなあ、きっと。と、優希は思う。
 終わった恋なんて、いや、恋「のようなもの」なんて、いつまでも引きずっている男なんて、情けないぜ。今年の目標は、なんとしても童貞卒業。はっきりいって、今はそれ以外考えられない。
 この前、瀬名さんについて夜遊びに行って、かなりいい感じの女子大生と、惜しいトコまで行ったんだ。今度チャンスがあったら、そのときは確実に……。

 そんな決意を新たにした優希の凛とした表情を見て、おそらくその意図を勘違いした里美は、優希を励ますように深くうなずいた。
 「がんばって」