瀬名はともかく、優希の侵入まで断りきれなかったのは、草平の気の弱さゆえ、というわけでもなかった。 端的に言えば、草平は「まあ、アリかな」という程度に肯定したのである。 草平の姉が、個人的な事情により本来住んでいるはずの家にいない。その空いている空間に、個人的な事情により、瀬名が入ってくるというのは、どこかしらバランスが取れている話のように思えた。優希については少々戸惑ったものの、要は瀬名の遊びについてまわりたいだけだし、ちょっと話をしてみれば、別に迷惑に思うほど彼が子供でもないことが解った。それに、草平自身、一人で居るとどうでも良いことにくよくよと悩んだりしてしまうタイプの人間であるので、同じ家に他人がいることで救われたりすることも、幾分かはある。おそらく世の中の過半数がそう断言するであろう通り、家に帰って誰かがいるということは、精神衛生上悪くないのだ。 総じて、特に悪いというほどのことは無いではないか。ともかく、奇妙な共同生活が始まることになってしまったことは事実なのだし、もうそれは現実に始まってしまっているので、否定的に捉えても仕方のないことである。 マルディグラでの人間関係も、必然的に変わった。 草平は、他人に興味がないわけではないが、なかなか積極的に関係を築くことができない。だが、瀬名を通じて、することもなかったかもしれない会話をしたり、自分一人では知りえなかったかもしれない情報を得ることが多くなった。何事も受身で生きている草平とは違って、瀬名は自分から積極的に何かを掴むバイタリティのある人間のようだ。学ぶところが多いと言えるほどである。ただし、それは感心できることばかりでもない。 たとえば、 「お前、仕事上がるときいつもゴミ出して帰るだろ? その時、たまに浮浪者いない? 夜でもサングラスかけてる変なヤツ」 「あ、あの丸いサングラス? 見かけたことある。すごい異臭を放ってた」 「あいつ、マルディグラが出来る前にここに事務所があった会社を辞めさせられた恨みを晴らすチャンスを窺い続けて、八年も前からずっとあの辺りをウロウロしてるんだってさ。ちなみに、名前は辻幸太郎って言うんだけど、かなりやばい人だから、近づくなよ」 「っていうか瀬名さん、どこからそういう情報を仕入れるわけ?」 と、思わず草平がそんなふうに言いたくなるようなことまで積極的に情報収集しているのだ。草平にとっては、そんなことを知って一体何になるのか、と疑問視してしまうようなことを、彼は沢山知っている。 しかし、それはまだ良かった。 逆に、いつのまにか周りが草平の私生活について知っているという妙な状況も出来てしまい、少し困っている。 「草平くん草平くん」 ある日の仕事中、草平に、芹沢音子が突然声をかけてきた。草平は未だに洗い場専門なので、仕事中に草平に話し掛けるには、わざわざそのためだけに洗い場へ出向く必要がある。草平は、見た目が非常に女の子らしい割には、よく笑い、また人をよく笑わせる会話を心得ている音子を、バイトの中で唯一の同い年ということもあって、なんとなく好感を持っていたので、いったい何事かと思って緊張もしたし、嬉しくも思った。 「どうしたの?」 きわめて自然な感じを心がけて、音子のほうを振り向くと、音子は目をらんらんと輝かせて言った。 「草平くんって、クラリアスベルト好きなんだって?」 「え?」 クラリアスベルトというのは五〜六年前に流行したバンドの名前である。草平は別にそのバンドがものすごく好きだったというわけではなかったが、流行っていて何となく耳についたので三枚ばかりアルバムを買った。よく聴くCDは自分の部屋に置いているが、普段聴かないものは部屋にあっても邪魔なので、リビングの大きなボードにしまっている。クラリアスベルトのCDも、リビング行きとなったまましばらく忘れ去られていた存在なのだが、おそらく、瀬名がそれを見かけたのだろう。 何もそんなこと人に喋らなくても良いのに、と草平は少し戸惑っていると、音子は今までにも増してニコニコしながら言う。 「私も中学のときすごいハマってたんだ。やっぱ同い年って感じだねー」 今さら「別に好きではない」とも言えない草平は、愛想笑いでその場をしのいだ。音子には好感を持っていたものの、また会話をするときにクラリアスベルトの話題が挙がるのかと思うと、少し気が重い。 またある日、マルディグラのバイトの中ではほとんど店長代理扱いされているねむの次に信頼を置かれている川崎から突然、 「草平の家の隣に住んでる女子中学生、なんか可愛いらしいじゃん」 などと言われて驚いた。 草平の家の隣には、確かに中学生くらいの子供がいる家族が住んでいる。姉は女の子と時々会話をするらしく、時々そんな話も聞いたが、姉がいなくなってしまってからは何の繋がりもなくなってしまったようなものだ。草平自身はその中学生をチラッとしか見たことがないし、可愛いかどうかなどよくわからない。むしろ、まったくの初耳である。 「今度遊びに行っていい?」 などと耳打ちされて草平が苦笑したのは、信頼していた川崎が、女子中学生が好きだという少し意外な趣味を知ってしまったというだけの理由ではないのだ。 草平はいつしか、瀬名をある意味恐るべき存在のように思うようにすらなっていた。 小中高と大学に至るまで、関わるコミュニティの中で常に「特に目立たない存在」として存在してきた草平は、マルディグラの中でのみ、私生活の意外な裏側を皆に知られる存在になってしまったのである。 |