Peach Time (9)
 

   
 (なんだか、今日は家が賑やかだな)
 草平は、玄関を開ける前に確かにそう思った。しかし、バイトから疲れて帰ってきたところで、あまり想像力の働くような状態ではなかった。想像力を働かせたにしても、瀬名か優希が友達を連れてきているのだろう、というくらいにしか思い浮かばなかっただろう。
 玄関を開けて、女の子の笑い声が聞こえたときにも、草平は「ああ、これは優希ではなく瀬名だな」と思ったくらいで、何も疑問に思わなかった。しかし、リビングの目の前まで来て聞こえてきた会話から、草平は顔面蒼白になった。
「だからさぁ、考えてみれば、初めっから冷たい男だったんだよねぇ。なんで、いっときの優しさに騙されちゃうんだろう」
「女はそういう生き物なのかもしれませんよ」
「ていうか、このみちゃん、それ中学生のセリフじゃないよ!」
「バーカ、優希が童貞まるだし過ぎるんだよ!」
「童貞!」
「童貞!」
「そうなんですよぉー。お姉さん、良かったら僕に教えてください!」
 ちょっと待て、と草平は思った。一体何をどう解釈すればいいのだろうか。
 黙ったまま立ち尽くす草平に気付き、皆が声をかける。
「おお、お帰り、草平」
「草平さん、お疲れさまでーす」
「おじゃましてます」
「はじめましてーっ」
 そして、最後に口を開いたのが、姉の美咲であった。
「久しぶり。バイト頑張ってるらしいね」
 何がなんだ。ともあれ、この状況を頭の中で整理しなければならない。
 まず、姉の美咲がいつの間にか帰ってきている。これが一番の重大事項だ。その上、見知らぬ女の子が二人もいる。
 いや、よく見れば女の子の内の一人、優希の隣で生意気そうな口をきいているのは、どこかで見たことがあると思ったら、隣の家に住む女子中学生である。いつからか美咲に懐いていたので、美咲が帰ってきたのを見て遊びに来たのかもしれない。もう一人の女の子はOL風なので、姉の友達だろう。いや、そんなことはどうでも良いのだ。それより姉である。
 一生帰ってこないとは思っていなかったけれど、割としっかりした姉のことだし、何の連絡もなく突然こうして帰ってくることは、弟としては想定していなかった。心の準備ができていないし、それよりも、姉に対して瀬名と優希のことを何も説明していないのは、どう考えてもまずい。どう考えてもまずいはずなのだが、目の前で当の姉が瀬名や優希と楽しそうに談笑しているのを目撃した草平が、今さらどう説明できるだろうか。

「まあ、座れよ」
 すっかり家主のような風格の瀬名に言われ、とにかく草平は言われたとおり座るしかなかった。
「あの」
 草平は、実の弟であるというのに、いまやこの中で最も美咲に対してよそよそしく話し掛けていると言っても良かった。
「とりあえず聞きますけど、いつ帰ってきたの?」
 恐るおそる聞くと、美咲はしれっとして「夕方くらいかな」などと言う。
 美咲は近眼でいつもコンタクトレンズをつけているが、今は、家で寛ぐ時専用の紫の縁の眼鏡をかけている。初対面の弟の友達と、いきなり寛いで話など出来る性格ではないと思っていたが、実際、打ち解けてしまっているように見える。別段怒っている様子でもない。
 瀬名と優希がここにいる事情を、どこまで把握しているのだろう。かなり疑問だが、それにしても何も言わずに機嫌良さそうにしている姉にわざわざそんなことを聞くのも、ずいぶんとばかばかしい気がする。
「まあとりあえず飲もうよ」
 草平にグラスを差し出したのは、姉の友達(草平はあとで、彼女の名前が未樹だということを知る)だった。とりあえず飲むしかない。考えなければならないことは明日にでも考えよう。
 草平はよく解らないまま、結局つぶれるほど飲まされてしまった。その夜は、隣の女子中学生が自分の家に帰ったあと、その他全員で雑魚寝だった。

 「ちょっと、草平! そんなところでいつまで寝てるのよ。起きてよ!」
 草平は、久しぶりに姉に叩き起こされた。相変わらず朝の姉は機嫌が悪い、などと思いながら起き上がってみると、叩き起こされるのも当然のことで、草平はトイレの便座に腰掛けたまま寝ていたのだった。
「ごめん」
 謝って、草平は自分の部屋に帰ろうとした。が、もともと広くない自分の部屋に瀬名と優希が寝ていて、とても割り込めそうな空間がない。
 仕方なく、リビングでクッションを枕にして横になっていると、また美咲が来て言う。
「部屋割りだけど、私は私の部屋を使わせてもらうことにしたからね。あんたはあの子たちと一緒に、うまく部屋を使ってやってよね」
「俺の部屋のほうが狭いのに」
 口をついて不平が出てしまったが、次の瞬間には草平は自分の失敗を悟った。草平は、そんなことを言えた立場ではなかったのだ。
「狭いも何も、あんたが連れ込んだ友達でしょう。だいたい、私とあの子たちが一緒に寝ても問題がないとでも思ってんの?」
「いや、すみません。解った、なんとかするよ」
 とにかく謝ってから、姉に改めて聞く。
「彼らについて、全然説明してなかったけど、どこまで事情を聞いてるの?」
「事情のほうは、あの子たちから直接聞いて、わかってる。確かに可哀相よね。うちにしばらく居候することは仕方がないと思ってるから、大丈夫。まあ、だからと言って、私のスペースを貸してあげるわけには行かないけどね」
 彼らが可哀相?
 どうやら瀬名と優希は、何かもっともらしい嘘をついて、ごまかして姉を納得させたらしい。一体どんな嘘をついたのかは解らないが、草平はその話に触れるべきではないということは確かだった。
「彼らが起きてきたら、部屋割りについては話し合ってみるよ」
 姉は納得した顔で、仕事に出かけていった。昨日あんなに飲んでいたというのに、まったく社会人というのはすごいものだ、などと見当違いなところで感心したりしながら、草平はその後姿を横目で見送った。