「今日は優希くんと二人か。どうしよう、ご飯、一緒に外で食べる?」 「い、いや。腹減ってたんで、もう弁当買ってきて食っちゃいました」 「そう? じゃあ私、軽く食べながらちょっと飲むけど、付き合う?」 草平と瀬名のバイトが、ともに遅番という日は週に一回か二回はある。そういう時、美咲はなるべく外で未樹などと夕食を食べてくるようにしているが、今日はたまたま一緒に食事をする相手が見つからずに、真っ直ぐ家に帰ってきたのだった。 まあ、優希くんと二人っていうのも、たまには良いかな。と美咲が思ったのも、事実である。 六歳も下なのだから相手は子供と言ったほうが良いかもしれないが、背格好はもう充分に大人に近づきつつある。そんな男の子と一緒に時間を過ごすことは、今の美咲にとっては安らぎのような、自分を思いのほかあっさりと捨ててしまったしょうに対するあてつけに似た気持ちのような、複雑ではあるけれど気分は悪くないイベントに思えたのだ。 しかし、優希のほうには、そこまでの余裕は無かった。 瀬名に遊びを教えてもらうつもりでこの家に来たというのに、最近は瀬名についていくよりも、この家で夜を過ごすほうが多くなってきている。みんながいろいろな人を連れてくるので、わざわざ外に出なくてもここに出会いがあるというのも理由のひとつだが、それよりも、美咲と一緒になんとかして時間を過ごしたい、という気持ちが強かった。 美咲は、男三人のむさくるしい家に、突然やってきた女神のような人である。女神は、華奢な身体と長い髪の毛を持った、どことなくクールな美人だった。弟が一人いるだけの優希には、以前から姉というものに対しての憧れがあったが、美咲はまさに自分の理想のような姉だったのだ。 「はい、飲みます!」 答えながら、幸せだ、と優希は思った。 「高校生にお酒なんて勧めちゃいけないんだけどね。どうせ、瀬名くんとかと遊んでて、いつも飲んでるんでしょ?」 美咲は、そう言いながら優希の分の缶ビールも食卓に用意する。アルコールに抵抗があるわけではないが、優希にとって、ビールというものは苦いだけで、本当は美味しいと思えない。しかし、美咲のすすめであれば、ビールを飲むくらい、わけのないことだ。 乾杯、と言って缶と缶をぶつけ合ったあとは、テレビを見ながら、笑ったり、出演しているタレントについて話したりして、時間を過ごした。優希は、本当に自分に素敵な姉ができたような錯覚にさえ陥る。 それにしても、美咲は意外と酒に強く、煽られたりしなければ自分のペースで長時間飲めるタイプのようだった。優希は、ビールを少し飲んだだけなのに、もう酔っ払ってしまったというのに。 美咲は、優希が既に酔っているのに気付き、やっぱり彼はまだ子供なのだと再認識した。少しからかって、いろいろ聞き出してみよう、という気持ちになったのは、ごく自然な流れだったのかもしれない。 バラエティ番組が終わって、コマーシャルが流れ始めたとき、美咲は突然、優希に質問を投げかけた。 「優希くんは、学校で好きな子とか、いないの?」 優希は、突然の質問にうろたえた。脳裏には、ほんの一瞬、りさの顔が浮かんでしまったが、そんなものは過去の話だ。 「そんなん、いないですよ。学校の女の子なんて、みんな全然ガキで」 美咲は、プッと吹きだして言った。 「自分だってガキのくせに」 「いや、まあ、そうなんですけど……」 笑って言いながら、優希はとっさに『そのこと』を思いついた。いつもだったら、思いついても言わないようなことだったかもしれないが、少し酔っているせいか、つい言ってしまったのだ。 「まだガキなんで、美咲さん、俺を男にしてくださいよー」 美咲はそれを聞いて、一瞬驚いて黙ってしまったものの、すぐに笑ってごまかした。 「私としようだなんて、十年早い!」 しかし、優希は真剣な口調で言い返した。 「でも、俺、美咲さんのこと好きです!」 「え?」 今度こそ、美咲はごまかすこともなく大いに驚いた顔をした。美咲だけではなく、優希自身も驚いていた。勢いで自分でも言うつもりの無かった言葉を発してしまっていることに。 沈黙の時間が流れる。 優希の下半身は、すでに「冗談だ」とは笑えない状態になってしまっている。美咲もそのことに気付いているかもしれない。 ……。 酔った勢いだ、行ってしまえ! そう思うや否や、優希は機敏な動作で美咲を半ば無理やり彼女の部屋に連れ込み、ベッドに押し倒した。どうすれば良いのかわからなかったが、とにかく上から覆いかぶさるようにして抱きついて、自分の股間がどんなに切ない思いでいっぱいになっているのかを知らしめるべく、美咲に押し当てた。 美咲は意外と抵抗しなかった。ただ、困ったような顔で言った。 「あの、私、二十二だよ」 「それでも好きです!」 「この前、男に振られたばっかりだよ」 「気にしません、好きなんです!」 「でも、優希くんは弟みたいなものだから、好きにはなれないよ」 「そんなの……」 構わない、と言おうとしたが、優希は途中でそれを止めた。 好きになってもらえなくても構わないというのは、ただやりたいだけだと言っているようなものだ。それはいくらなんでも、どうかと思う。 「それでも、構わない?」 たたみこむように、美咲が聞く。余裕を取り戻したのか、顔には少し笑みさえ浮かべている。 「はぁ……」 降参だった。優希はため息を吐きながら美咲の横に倒れこんだ。彼女をどんなに強く押さえつけたところで、抱くことなんてできないのだと観念したのだ。 美咲は、ようやく自由になった身体で、まずは優希の髪を撫でてやりながら、言った。 「本当は、好きな子がいるんでしょう?」 「どうして?」 「さっき、一瞬その子のことを思い出したような顔をしたから」 「確かに、思い浮かんだ子はいるけど」 優希は、ただ頭を撫でられているだけなのに、まるで美咲の腕に包み込まれているような気分だった。思いのほか、素直にりさのことを喋れそうな気がした。 「でもそれは、前に好きだと思っていた子。今はもう関係ないんです」 「振られちゃったの?」 「そういうわけじゃないけど……あいつに彼氏ができてはじめて、ひょっとしたら好きだったかも、って思っただけだから」 「じゃあ、終わったわけじゃないんだ?」 「もう今は何とも思ってないんだから、終わったって事なんじゃないかな」 「違うでしょう!」 美咲は急に起き上がって、怒ったように言った。 「『終わった』なんて言葉はね、私くらい当たって砕けてきた人間だけが使って良い言葉なんだからね。軽々しく使わないで!」 優希は、その勢いに圧倒された。 美咲がこの家に戻ってきたのは、同棲していた男と別れたからだというのは知っていた。けれど、彼女がどんな男と一緒にいて、どんなふうに生活をして、どんなふうにそれが終わって、今どんな気持ちでいるのかなんて、考えてみたことも無かったのだ。考えたところで、想像しようもなかったが。 黙りこんでしまった優希に、美咲は一転して柔らかい口調で声をかけた。 「もし優希くんがズタズタに失恋してきて、それでも私のこと好きって言うなら、……さっきの続き、考えてあげても良いよ」 「まじですか!」 優希も、突然元気になった。 「じゃあ明日にでも告って来ます!」 そんな優希を見て、美咲は本当に楽しそうに笑って言う。 「それじゃ本末転倒じゃない」 「はは、やっぱり?」 優希はおどけた顔をして見せたが、心の中では、この人は本当に良いお姉さんだな、と考えていた。別の意味で、美咲のことを本当に好きになった気がした。 |