Peach Time (19)
 

   
 「じゃあ、何。結局、そのコと上手く行ったってこと?」
「へへ、まあ、そういうことです」
 ニヤニヤしながら、りさとの顛末を語る優希を、皆がはやしたてた。
 ふと美咲と視線がぶつかって、優希は一瞬緊張したが、美咲も心から祝福するような笑顔でいたので、安心した。童貞を捧げられなかったのは非常に心残りではあるが、自分はやはりこうなるべきだったのだ、と改めて思う。

 「それにしても、言ってみるもんなんだねぇ」
 たまたま、あんじと一緒に瀬名のところに遊びに来たあやこも、その話を聞くや否や、切なそうな顔をして、妙にしみじみとため息を吐きながら独り言のようにつぶやく。それを見たあんじと瀬名は、二人して「あやこだって、言ってみればいいじゃん」などとけしかける。優希もつられて言った。
「そうですよ、あやこさん。言わなきゃ何も始まらないですよ。傷つくことを恐れちゃダメです」
 あやこは、大げさにため息を吐くポーズをとることで、周りが与えようとしているプレッシャーに素直に応えた。
「私は別に、傷つくことを恐れてるわけじゃないもん」
「じゃあ、もう砕けてもいいからぶつかっていけばいいじゃないですか」
「違うの。わからないの」
「何が?」
「どうやったら気持ちを伝えられるんだろうって。私、ずっと男女交際を禁じられてた女子高育ちだし、今まで付き合った人は、向こうから言ってきてくれてたのね。自分から相手に好きな気持ちを伝えたことがないから、今さら、どういうふうに言えば良いのか、どういう言葉を選べば良いのか、わからなくて。どうしたら今の私の気持ちを正確に伝えられるんだろうって考え始めると、もう何も言葉が思いつかなくなっちゃう……」

 少しの沈黙を挟んで、あやこに声をかけたのは、瀬名だった。
「どんな言葉も何も、無いと思うけど?」
「え?」
「だって、好きなんだろ。好きって言えばいいだけじゃないの?」
「それでちゃんと伝わるの? 私は伝えたいことが、いっぱいあるんだよ。ねむさんがいたから今まで頑張って来れたんだよ、とか、ねむさんがマルディグラ辞めた後もできれば会いたいとか、振られても私は気にしないからまたお店のほう遊びに来て、とか……」
「あんまり考えすぎちゃダメだよ」
 あんじが横から口を出す。
「肝心なのは、どんな言葉か、じゃなくて、それがあやこの言葉だってことだと思うよ。それさえちゃんと伝われば、うまくいくにしろ、いかないにしろ、ねむさんのほうだって言葉を受け止めて、いろいろと考えてくれるよ、ね?」
「そうですよ!」
 突然あんじから「ね?」などと話のバトンを受けてしまった優希だったが、今日はいつにもまして調子が良いので、十歳近くも年上のあやこに対して、説教だって出来る気分だった。
「今回、自分のことでよく解ったんです。一人でいろいろ考えちゃうことにいくら労力かけても、相手には何も伝わらないんですよ。同じエネルギーを使うなら、ちょっと考えが足りないと思われても、もっと外に向けてぶつけちゃったほうが良いですよ。もう、思いっきり、ガツンと!」

 話しながらも気分が高揚していくのが目に見えて判る優希に圧倒されながらも、あやこは降参したような顔で小さく笑った。
「うーん、高校生にそんなこと言われるのは、ちょっと悔しいけど。このまえ、似たようなことを、マサキさんにも言われたなぁ」
「え、あのマサキさんに?」
 あんじと瀬名はひどく驚いた。まさか店長までがバイトの恋の話に口を出しているとは意外だったからだ。
「なんて言われたの?」
「えーと」
 あやこは、少し間をおいてから言った。
「『忘れるためにがむしゃらになるのはだめだけど、気持ちを伝えるにはがむしゃらさが必要』……みたいな感じだったかな」
「なるほどねぇ」
「マサキさん、言ってくれるじゃん」
 あんじが、その言葉を噛みしめるように頷く。優希も、自分の言葉がかなり的を射たものであったことに満足しているような表情だ。
 そこへ、美咲がふと「私も」と口を挟んできた。

「私もさ、振られてここに帰ってきたけど、一人でいたらきっとがむしゃらに忘れようとして、余計つらい思いをしてたんじゃないかなって思うの。今、こうやって周りに人がいてくれるから、否が応にもエネルギーは外に向いちゃってるもん。自分の殻に閉じこもる暇もなくて、良かった。内側に向かうエネルギーって、なぜか破壊的な力になっちゃうもんね」
 美咲の言葉を聞きながら、優希は自分が昨夜勢いでしてしまいそうになったことでさえ、美咲にとっては救いになっているかもしれないと思いつき、ますます救われた気分になった。
「まあ、家に戻ってみたら、弟が増殖してたのには、ちょっと驚いたけどね」
 美咲が付け足すと、瀬名が「はは」と少し乾いたような笑い声を上げた。
 ほんの少し、思いつめたような表情をしている。本人は隠しているつもりかもしれないが、美咲はその微妙な表情の変化を見逃さなかった。ふと、この流れは今まできちんと聞けずにいたことを聞くチャンスかもしれない、と思い立って、独壇場に立った勢いでさらに瀬名に言葉を投げかける。
「で、瀬名くんたちは、いつまでウチにいるつもりなの?」
「……え?」
「いや、別に迷惑でもないし、出てけっていう意味じゃないけどね。でも、金銭的な都合で帰る家がなくなっちゃったなんて、嘘なんでしょう?」
「えー? 瀬名くん、そんなこと言ってここに住まわせてもらってたの?」
「いや……うん、まあ」
 あんじの茶々が入って、話の腰を折られそうになったものの、美咲は強引に話を続けた。
「ねえ、瀬名くんだって、本当は帰る家があるくせに、何かから逃げてここにいるんでしょう?」

 問い詰められた瀬名は、うつむいたまま黙りこくってしまった。もっとも触れられたくない話に触れられた、とでも言いたげな顔をしている。
 誰もが、何を言って良いのかわからなくなった。美咲ですら、そこまで傷ついた顔を見せられると、事情を知らないとはいえ非常に申し訳ない気分になった。そんな中で、ただ一人あんじだけが冷静な顔をして、瀬名にとどめを刺した。
「瀬名くんは、決定的な別れの言葉を聞くのが恐くて、それで彼女から逃げてるんだよねー」
「……」

 その場所にはただ妙な沈黙ばかり流れた。それぞれの胸に、それぞれの戸惑いがあって、誰もがいたたまれない気持ちになっていた。