Peach Time (21)
 

   
 いつもと変わらない授業の合間に、いつもと変わらない昼休みが来る。いつもと変わらない伊勢と連れ立って、いつもと変わらない学食に行き、いつもと変わらない安い定食を食う。随分色々なことがあった気がするが、結局こうしてやってくる毎日は大して変わらない。不思議なものだ、と草平は思う。
 瀬名は当然帰るべき場所に帰ることになったし、優希も瀬名がいないとなればもともと草平の家に居座る理由も無く――とは言っていたが、実際は彼女が出来たから瀬名にくっついている理由が無いというのが本当のところだろう――、今日の夕方までには、二人とも草平の家を出て行くことになっている。

 「そうか、じゃあ、あいつら居なくなるのか」
 カレーを食べながら、伊勢が特に何の感傷も無さそうに言う。
「今日帰ったころには、もう荷物もなくなってると思う。まあ、荷物ってほどのものは特に何も無かったんだけど」
 草平ですら感傷のようなものを感じないくらいだから、伊勢がそんな平坦な言い方をするのも、無理はない。
 話がふと途切れたところを見計らっていたかのようなタイミングで、午前中は違う授業をとっていたヨウヘイが、草平たちと同じテーブルに座って、喋り始めた。
「草平くん、語学のテスト範囲って聞いた?」
「え、もうそんな時期だっけ?」
「先週の授業で言ってたぞ。確か……」
 そう言いながら、伊勢が鞄からメモを取り出そうとした、ちょうどその時。
「伊勢くーん! 聞いて聞いて!」
 小柄な女の子が、やや興奮気味の笑顔で駆け寄ってきた。
「おう、どうしたの?」
「あのね、神田さん、大学辞めないことにしたみたい。さっき、白橋さんと話してるの、聞こえちゃった」
「マジで? ……おい、神田さん辞めないんだってよ、良かったなあ」
 突然、自分に話を振ってくる伊勢に、草平は多少戸惑って、言った。
「あ、ああ。そうか、神田さん……」
 草平が曖昧に答えている間に、女の子のほうは、さっさと話を済ませてしまう。
「ごめんね、突然。それだけ早く言いたかったから。じゃあ伊勢くん、また後でね」
「おう」
 小走りで走り去る女の子を呆然と見送っている草平の横で、早速ヨウヘイが伊勢を小突いて言う。
「ていうか、誰?」
「亜衣菜だよ。語学で同じクラスにいるの、知らない?」
「見たことはある気がするけど。伊勢くん、あの子と仲良いの?」
「うん。っていうか、付き合ってる」
「え?」
 草平は、珍しく大きな声を出すほど驚いた。ヨウヘイのほうは、「やっぱり」とでも言いたげな顔をして、「いつから? どういうきっかけで?」と矢継ぎ早に質問し、二人の仲について詳しく聞きだそうとした。
 ヨウヘイにつつかれて、少しずつ「前から気になってたんだよ。今時めずらしくきれいな黒髪しててさ、なんか神秘的なところがあって……」などと話し始めた伊勢を横目に、草平はぼんやりと物思いにふけった。

 このところ、やたらと他人の色恋沙汰に振り回されてばかりだった、と、草平はまず思い当たった。
 瀬名や優希が突然自分のところに転がり込んできたのも、居なくなったはずの姉が帰ってきたのも、店で痴話喧嘩をしていった橘も、ねむが店をやめるといって必死になっていたあやこも、大学を辞めるの辞めないのと一悶着あった神田と白橋も。みんな自分のことでいっぱいで、草平を振り回してばかりだった。
 恋愛なんて所詮誰だって経験するようなものなのだと思えば、それは日常茶飯事で、いちいち珍しがるようなことではない。あくまで個人的な話なのだから、他人を巻き込む必要も無い、とずっと思ってきた。
 だのに、皆、自分の中だけでは上手く折り合えずに、逃げていた、のだと思う。厳しい現実を見ないように、草平の家に集まっていたかのように見える。それで、正直なところ、初め草平は、それを少し煙たがっていた。
 だいたいそれは、恋愛の話に限らない。生きるということは、それだけでひどく個人的なものであり、それぞれの場所で勝手にやるべきだ。
 しかし、実際には他人を巻き込んだり、振り回したりしながら、それぞれが進行していく。そんな中、草平は今まで、巻き込まれたり、振り回されてばかりいた。適当にあわせては来たけれど、それは基本的に迷惑なことでもあった。だから、草平は自分から積極的に他人に関わっていくのは、少し面倒くさいような気がしていたのだ。ついこの間まで。
 けれど、今は少し考えが変わった。

 一つ解決すればまた一つ。また身近なところで、知らないうちに新しい恋愛沙汰が生まれている。
 伊勢は自分を巻き込むだろうか。伊勢のことだから、なんでも自分で解決しそうではあるが。やはり自分もそれに多少は巻き込まれるだろうし、巻き込まれても良いのではないかという気持ちさえ、今の草平にはあるのだった。
「あ、橘さんだ。今日も可愛いなあ」
 そう言って食堂の入り口に目をやったヨウヘイにつられて、思わず草平も彼女のほうを見た。
「騒いでる割には、橘さんに声かけないんだな」
 草平が言うと、ヨウヘイは「だって、リスク高いよー」などと言い訳する。
 確かに、自分のほうから他人に関わっていくことにはリスクもあるし、要らないエネルギーまでかかる。それでもなんとなく、関わってみたいと思う人がいる。
 やたらと辛そうな恋をしているように見えた彼女は、自分が声をかけてやることで、なにか救われないだろうか。自分があの男の代わりに彼女と恋愛をしたいというようなことでは必ずしもなく、ただ話を聞いてあげたりすることで、何か力になれることもあるのではないだろうか……。
 そこまで考えて、草平は自分のその思考に驚いてしまった。
 (ここ最近の生活のせいで、他人の恋愛に振り回される癖がついてしまったのかもしれない……)
 そう思い当たって、心の中で苦笑した。悪くは無い苦笑だと思った。

 午後の授業が終わって家に帰ったら、また元のような生活が始まる。姉は戻ってきているが、基本的にお互い干渉することもなく、今までやってきた。当然のことだ。それは、誰のものでもない草平自身の生活なのだから。
 けれど、気が向いたら、時々は干渉してみるのも、面白いかもしれない。

「じゃあ、俺が橘さんに声かけてみようかな」
 草平が言うと、伊勢もヨウヘイも、二人して何秒間か手の動きを止めて、ひどく驚いていることをアピールした。その妙な間に絶えられず、草平は「まあ、気が向いたらね」と言って、笑っておいた。

〈おわり〉