千村はつひ(top)
あーあ、来るんじゃなかった。
そんなことを思いながら、マナは目の前のグラスを傾けた。皆に合わせて頼んだ抹茶ミルクという変なカクテルも、アルコールが入っているのかいないのか、ただ甘いばかりで食事が進まない。
マナにとって、実は初めての合コンである。どこだったかで知り合い、なんとなく連絡先を教え合って、気付いたらつるむようになったチナツ――マナにはそういった友人が多い、というか、そういった友人しかいないのだが――から突然の誘いを受けて、行くことになった。
「相手はみんな社会人だし、全額奢りだよー。これもう行くしかないでしょ」
そう言われたが、初めから気は進まなかった。マナにとって『奢り』なんて、なんの効力もない言葉なのだ。ひけらかすようだし、たかられても困ると思って、チナツや他の遊び友達にはいちいちそんなことを説明しないが、マナは小遣いなら周りの子よりも、たぶん持っている。
そんなわけで、奢ってもらうことにはなんのありがたみも感じなかったが、それでもマナは誘いに乗った。一人でとる食事よりは遙かにましだろうと思ったのだ。
しかし、どうやらそれは判断ミスだったようだ。
どう見てもいい大人と言える年代の男たちと、まだ少女にしか見えない年代の女たちの合コン。空気が気持ち悪い、とマナは思う。
店もおかしい。安っぽくて、変なメニューばかりだ。味のわからない子供にはこのくらいの店でいいと思われているのだろう。しかし、そんな程度の店でもこのテーブルは若干浮いているのか、店員は怪訝そうな顔をしながら飲み物や食べ物を運んでくる。すべてが不協和音のようだ。
男の側は皆、二十代後半といったところだ。とりわけ幹事は、若い女の子ならなんでもいいというメッセージが全身の毛穴から発せられているような男だった。マナはなんとかその男から一番遠い席を確保したが、目の前に座ったシンジという男も、相当感じが悪い。
「あ。コイツ、本当はラブラブな彼女いるから」
男性陣の一人が彼のことをそう紹介したことも、それを受けて「あっ、オマエそういうことバラすなよ!」などと言ってニヤついているシンジの顔も、マナの癇に障った。
バラすなよ、だってさ。
バレたらどうなるの? バレなければどうするつもりなの?
たった十七年しか生きていないマナにとってすら、聞くまでもないことだ。
そんなことを思いながら、マナがにやついた顔の男を見ていると、男は何か勘違いしたのだろう。やけにマナに話しかけてくるようになった。
「ねえねえ、今の女の子ってどんなの流行ってるの?」
まるで親戚の子供の機嫌でもとるような、かといってどこかに期待を含んだ邪な笑顔でそう言われたときは、さすがのマナも「うざっ」とつぶやいて、小さく溜め息をついた。
が、それはあくまでも心の中の話だ。てめえは十年前、そんなに子供扱いされるほどガキだったのかよ、などとは思っても決して口に出さない。子供だって、そのくらいの礼儀は持っている。
ただ、「えー」などと曖昧に首を傾げて、ただニッコリ笑ってみせるだけだ。
しかし、合コンとはなんとつまらないものなのだろう。これから一時間か二時間くらい、こんなにくだらないやりとりをしていかなければいけないと考えると、気が遠くなる。そこで、マナは思いついた。
初めから、相手には入り込めそうにない話を一方的に語ればいいのだ、と。
「流行ってるとかじゃないけど、今ちょっとアツいことがあってー」
「へえ、なになに?」
「こないだ私、ちょっと自殺しよーとか思ったんだけど」
「ははっ、『ちょっと自殺』って。軽いなー」
「そうそう。ちょっとコンビニ行ってきまーす、みたいな感じでね……」
そうして、マナは語り始めた。
線路に飛び込もうと決意したこと。実行の直前に、ある男から助けられたこと。それ以来、男との不思議な関係が始まったこと。自分は男から愛されているような気がすること。毎日のように男からメールが来ること。男は自分をとても心配してくれていて、それは自分にとっては「ちょいウザ」なのだが、カワイソーだから毎日返信をしてあげること。
はっきり言って、かなりの脚色が加わっている――というか、最初から最後まで嘘である。
そもそも、マナに自殺するほどの勇気はなかったし、優太はマナを助けてなどくれなかった。それに、メールアドレスを教えたって、向こうからはちっともメールを寄越さない。しびれを切らしてマナからいくつかメールを送ったところ、つい三日ほど前、ようやくたった一通のメールが返ってきたところだ。
そのメールには、もちろん愛の言葉もハートマークも見つからなかった。
というよりも、何かを書いている途中で間違えて送ってしまったのか、文字化けしているのか、意味不明のものだった――が、そんなことはこの男に話しても、逆に一緒に謎解きみたいになってしまって、気持ち悪い。だからマナは、けらけらと笑いながら、嘘の話を延々と続けた。
シンジもなかなか動じない男だった。完全にマナを子供だと思っているほどの大人から見れば、マナの話などはまったく違う世界の物語のように聞こえるのかもしれない。もっとも、心の中ではかなり鼻白んでいたかもしれないが、
「あはは、つまり援交ってやつだ?」
などと、笑いながら合いの手を入れたりする。
マナはマナで、女子高生とオヤジって言えば即援交とか、どんだけ単純なんだよ、あほか、などと言いたい気持ちをぐっと抑えこんだ。
(そろそろ限界かも)
そう思いながらもシンジに向かってにっこりと笑いかけた瞬間、マナの携帯が鳴った。メール受信のランプがチラチラと点滅している。
「もしかして、例の男から?」
茶化すシンジを軽くあしらいながら、マナは受信したメールを開いた。
メールはマナの父親からだった。
瞬間、マナは落胆しかけたが、はっと気を取り直す。いつものマナにとっては忌々しいメールだが、今に限っては、それでもここから逃げ出すためのありがたい小道具だ。
「あ……うん、今から会えないかって…・…」
戸惑ったように、でも少し微笑みながら、マナは言う。そして、
「どうしよう、あの……みんなごめん、私、先帰る」
五千円札をテーブルに置いて、立ち上がった。
「えー、帰っちゃうの?」
テーブルの向こうのほうで、気持ち悪い幹事が残念そうに、でもどうでもよさそうに、ヘラヘラと笑いながらマナに声をかける。
「あ、いいよーお金なんて置いていかなくても」
しかしマナはその言葉を無視して、さっさと行こうとした。すかさず、シンジが言う。
「さすが援交、金持ってるね」
マナはもう一度、とびきりの笑顔を満面に浮かべてから、「死ね」と、今度は小さくだが確実に声に出してつぶやき、そのまま店を後にした。
さて。
大法螺をふいて勢いよく店を出るまでは良かったが、問題はその後だ。
マナの足取りは、重かった。
家に帰れば、今日こそ父親とあの話をしなければいけない。
帰りたくない。そう思うが、かといってここに留まって誰かと遊ぶのも気分ではない。
結局マナは行くあてもなく、なんとなく渋谷駅の山手線ホームまでたどり着いたものの、電車に乗る気になれず、そこにしばらく立ち尽くすことになった。
電車が人を吸い込んで、新宿方面へと走り出す。すると、その直後からもう人が集まって、ごったがえす。
そんな様子を見ていると、意外と気が紛れた。
まるで砂糖のかけらを運んで巣に帰る蟻でも見ているかのような、飽きない面白さがある。
みんな、どこから来るの。どこへ帰るの。
何をしてきたの。これから、何をするの。
楽しいの。悲しいの。
そんなことを思いながら、虫のように湧いてくる人々の群れを眺めていたマナの目に、ふと見覚えのある背中が飛び込んできた。
少しくたびれたワイシャツ。少し猫背で、誰のことも寄せ付けない強さのある背中。
あわてて追いかけ、マナは少し汗ばんだその袖を、くっと引っ張った。
「ユータさん、だ?」
ゆっくりと、優太は振り返った。
「あれ、また会ったね」
再会したことに対して特に感慨もなさそうな、かといって別段嫌というわけでもなさそうな、中途半端な言い方だ。しかし、なぜかそれがマナには嬉しかった。
「すごい偶然だよ。運命の人かと思っちゃうよ」
先ほど少しアルコールを入れたせいだろうか、いつになくテンションが上がっている自分を、マナは少し恥ずかしく思う。しかし優太にとってはそんなこと、まったくどうでもいいらしい。
「何言ってるんだ。君、運命の恋人とか信じるタイプじゃないだろ」
「あはは、バレてるー? でもさでもさ、この広い東京で、また偶然会えたんだよ?」
「偶然もなにも、ここ俺の通勤ルートだし」
優太はやはり、マナになんの興味もないようだった。
しかし、合コン相手たちのように、若い女はみんな好きだというような態度をしたり、子守りでもするような話しかたをするのと比べると、優太の態度はマナを男でも女でも大人でも子供でもない、一人の人間として扱っているような、妙な公平さがある。
今のマナにとって、それは何よりも自分の確かさを感じられる、最高の扱いだった。
「ね、暇? またカラオケ行こうよ」
「断る。今日は疲れてるんだ。君も今日は自殺しそうにないし、大丈夫」
「えー、つまんなーい。冷たい人だなあ、メールもくれないし」
掴んだままの袖を振り回しながら、マナは言う。これでは、まるで駄々っ子だ。シンジに子供扱いされたのも仕方ない。
しかし、優太はやはり、子供をあやすような真似などしなかった。ただ、マナの言葉に対し、心外だとでも言いたそうな顔で答えただけだ。
「送ったぞ、メール。一通だけだけど」
「ああ……そりゃまあ、確かに来たけどさあ」
「あれ、結構真剣に考えたんだよ。なかなか難しい質問だったな」
「はぁ?」
少々ムッとしながら、マナは自分の携帯を出して、ユータから届いたたった一通のメールを開いて見せた。
「なに言ってるの、こんなメールじゃ全然意味わかんないよ? もしかして、文字化けでもしてる?」
マナがそう言うのも、無理はなかった。
画面に表示されているユータからのメールは、タイトルなし。
そして本文は、「・」の一文字だけだ。
中黒などと呼ばれる、とてもシンプルな記号ひとつ。
内容を認めると、ユータは何も問題なさそうな顔でうなずいた。
「いや、化けてない。送ったまんまだ」
「なんなのこれ。日本語にすらなってないし。こんなメールもらっても、全然意味わかんないんですけど」
「わかんないの?」
あきれたように、優太が言う。
あきれながらも、ほんの少しだけ、遊び心のようなものを目尻に滲ませて。
冷たいようで優しい、大人なようで子供っぽい、男らしくはないけれど女々しくもない。そんな優太の表情を見ているうちに、ふっと、『・』がジグソーパズルの最後のピースのようになって、マナの記憶の穴にぴたりと嵌った。
「あ、わかった!」
「そうか、よかったな。じゃあ、そういうことで」
「ちょっ……答え合わせとか、しなくていいの?」
「だって、もうわかったんだろ」
きっぱりと頷いて、マナは言った。
「寂しいマーク、でしょ」
「正解」
優太は満足そうにうなずき、笑った。それは、マナに初めて見せた、笑顔らしい笑顔だったかもしれない。
だからといって、それ以上会話を続ける気はないらしい。優太はちょうどホームに滑り込んできた電車に、乗り込まんとばかりに歩き出す。
引き止めたい、とマナは思った。
けれど、その毅然とした背中がちっともマナを受け付けていないことはよくわかった。どんな手段で止めたって、きっと今日は帰ってしまうだろう。そう思うほど、閉じた背中だった。
でも、せめて。
「また会える?」
マナが叫ぶ。
優太は、ほんの数秒足を止めて、首をかしげる。そして、マナの質問に対する答えは言わず、それどころかマナを振り返ることすらしないまま、マナに手を振った。
それは拒絶ではないと、マナにはわかった。背中が、微笑んでいたからだ。
優太を乗せた電車を見送ったあと、マナはもう一度、彼から届いた一通の、そしてたった一文字だけのメールを「読」んでみる。
『・』
それは、とても孤高で、閉じていた。
その唯一の存在には、誰も寄り添うことができない。そういう世界のものだ。
マナにとってそれは、衝撃だった。
自分の寂しさをうまく言い当てられたような。
優太の抱える寂しさの大きさを知ってしまったような。
あの人、とんでもない発見をしてくれた、と思った。
なにか、衝動が胃の奥のほうからうずうずと湧いてくるようだった。今すぐ号泣したい、でなければ爆笑でもしたい、そんな激しさのある感情だ。
それが一体なんなのか、まだわからない。
ただ固まったように、マナはその点を見つめ続けることしかできなかった。
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