#95 The Final Mission

 あの日のことは、きっと忘れない。
 抵抗の強い弾力と、返り血の生臭い匂い。

 あなたを忘れるために、私は私の中に棲みついたあなたを刺したつもりになった。
 空想上のあなたはとてもきれいな死に顔で横たわり、そして、現実のあなたもまた、見事に死んだふりをした。簡単なことだった。二度と私の前に現れなければ、それでいいのだから。
 最後の共犯として、「つもり」と「ふり」をそれぞれ完遂すること。
 私たちの企みはとても美しかったし、完璧だった。

 不思議なのは、刺した「つもり」だけで良かったのに、私の中にあの生々しい感覚が確かに残っているということだ。
 あの日、本当に死んだものは、一体なんだったのだろう。

060123

#96 Never Say Good-Bye

 あなたはいつも礼儀正しく「サヨウナラ」と言った。
 あるとき私がその言葉を好きではないと伝えたら、あなたは一言、莫迦かと言って笑った。

「さようなら」は「左様ならばお別れしましょう」から来た言葉だと解釈されている場合が多いが、それは大きな勘違いだ。本当は「それじゃ」と全く同じ言葉で、単なる接続詞だ。接続詞は、単なる区切りでしかない。区切りであるということは続きがあり、略した部分に何を補完しようと自由だ。「左様ならばゆっくりお休みください」「左様ならば帰り道に気をつけて」「左様ならばまた明日お話ししましょう」。どうとでもとれるだろ?
 
 あなたは最後まで、自分の言葉に対してとても真摯だったのだと思う。
 本当にもう二度と会えない時には「サヨウナラ」などと言い合う余裕もないという事実が、私があなたから教えられた最後のことだった。

060120

#97 Switch

 【終わり】とはきっと、だんだんと兆候を現して私を四方から取り囲み、気がついたときにはもう逃げられない状態になっていて、もうこちらが覚悟せざるを得ないような状態になって初めて訪れるものだと、私はどこかで信じたかった。
 つまり、自然の摂理だと思っていたのだ。
 
 でも、実際にはそうではなかった。
 たとえ状況に強いられたとしても、私たちは自分でそのスイッチを押す勇気がない限り、【終わり】を受け入れることは出来ないのだった。
 
 それは解った。けれど、実際にはそうではないということを教えようとしてくれたあなたが、何をもって【終わり】にのスイッチを押す勇気を得たのかは、いまだによく解らない。
 それが、悲しい。

060119

#98 Infinite Words

 言い遺したことはない? 言い遺したことは、ないの?
 私の質問に、あなたはあのとき多分笑い、私は今になってようやく、その意味を知る。
 言い遺したことなんて、ないわけがない。想いは常に湧くものだし、それを完璧に伝えるには、言葉というものは不完全すぎた。そして不完全ながらもやっと形にしたと思えば、その傍では新たな想いがもう湧き始めている。あまりに無尽蔵だ。浅はかな私ですらそうなのだ。いつも思考の深淵に足を捕られているあなたであれば、なおさらのこと。
 ああそうか、だから。
 語りかけることを辞めたあなたの中にもう一切の未練はなく、語り合うことのできなくなった私もまた、あなたに対する未練を失った。つまり私を此処に縛りつけていたのはあなたではなかったし、この場所でも、誰かの感情でもなかった。
 私を此処に縛りつけてきたのは、自分の発した言葉、ただそれだけだったのだ。

060116

#99 No Time No Pain

 私たちは一体カウントダウンをしているのか、それともカウントアップをしているのか。
「生まれ落ちた時から人生が終わる瞬間までのカウントダウンを始めているのだ」
 と、あなたは言った。だけど、私たちは生まれ落ちた時に自分がいくつの数字を保有しているのかなんて知らない。スタートのないカウントダウンなんて、一体どうやってできるだろう。同じように、どこまで数えれば最後の数字にたどり着けるのかも知らされていない私たちには、ゴールのないカウントアップもまた、やりようがない。
 確かなのは、始まりも終りも同様にゼロである、ということだ。
 ゼロから始まってゼロに終わる。ということは、その間もひょっとしたら私たちはずっとゼロなのかもしれない。何かが増えたり、あるいは減ったりする余地のない存在。私たちは永遠にゼロなのかもしれない。とすれば、始まりも終りも本当は存在しない。現在も?
 確かなのは、始まりも終りも同様にゼロである、ということだ。
 ゼロだと思えば、何も哀しくない。

060113