0730
なんか知んないけど 帰る場所が無い気がして
なんか知んないけど 自分には何も出来ない気がして
なんか知んないけど 有意義って言葉が憎たらしくて

はした金を払ってでも時間を無駄に費やしてみたり

そんで なんか知んないけど 泣きそうになって
だけど なんか知んないから 泣くことも出来なかった

あたしは 病んでなんか居ない
0727
 八年前の夏。想っても想っても叶わない恋に私は泣きました。
 二年前の夏。君が、もう二度と東京にも千葉にも戻らず、此処より少し北にあるその都市に永住すると決めたのとほぼ同じ頃、奇しくも君が永住しようと決めたその地に生まれ育った人が、東京に出て行くことを決めました。
 一年前の夏。その人と私は偶然出会い、驚くほど自然に、まるで寄り添うように、恋が生まれました。
 それで、今も私は夏に笑っていられるのです。
0726
 ゴリゴリとモノを押し当てて、否応なくその状態を知らしめるのは無粋だし。ましてや私の手を導いて触らせるなんて、何様?って感じだし。「おまえとやりたい」っていうのは頭悪そうだし。「俺はもう我慢が出来ない」だなんて、若すぎるし。「先っぽ濡れちゃったよ」は微妙に生々しすぎて想像力をかきたてられないし。
 そんなわけで。
 「なんか勃っちゃった」って言われるのが、一番好き。「あー、おまえの所為でこんなになっちゃったよ、どうしてくれるんだよ」といった感じの意味合いを含めていれば、猶よろし。
 彼が放棄した責任を押し付けられた私は、自分の意志で彼を抱く。
0725
 アナタは私のことをナキムシだと言って茶化すけれど、私はアナタが隣にいなかったら、こんなに泣かないと思う。私が泣く原因がアナタに在るということではなく、こんなに心置きなく泣いてもいい場所を用意してくれるから、我慢なんてしなくてもいいよって教えてくれるから、私は泣かずには居られない。訳も無く(というか、訳があり過ぎて、あまりに複雑で、自分でも何が『訳』なのだかよく解らない状態にあって)無性に泣きたいと思う夜にも、私は思う存分泣けるようになった。この場所で、だけ。
0723
 何処に行けばいいのか。
 どうすればいいのか。

 そんなことを僕は今でも思う。
 いつまでも思う。
 君がそうであるように。
0722
 近くで囃子が聴こえた。
 小さな公園で、町内盆踊り大会が開催されているらしかった。お祭りには目が無い私と、季節の風流を愛する彼は、二人で連れ立って見に行くことにした。
 微かに覚えていた東京音頭を思い出したり、暗闇で光るオモチャが少しだけ欲しかったり、お約束事のように観のビールを飲んだり、お腹が一杯な癖に屋台のフランクフルトが気になってみたり。纏わりつくような夏の湿った空気も、いつもだったら不愉快で仕方の無い人混みも、何だか笑って許せるから不思議。
 ふと見つけたのは、中学生くらいのカップル。並んで座って、殆ど会話もせずに、シャクシャクとただカキ氷を食べている。私たちは後ろからそれを見て、とても微笑ましい気持ちになったり、もどかしい気持ちになったりして、笑った。甘酸っぱい。
 あの頃の恋も、それはそれで楽しかった。けれど、アナタに会えたのが大人になってからで良かった。そんな事を思いながら、笑った。
0721
彼女の弁:
 男女の友情は成立するかだなんて、不毛な議論だけれどね。それでも私が思うのは、何の下心も無いところに、人間と人間の関係は存在し難いということなんだよね。相手が同性だとしてもそれは当てはまるけれど、人が他者に求めるメリットというのはそもそもエゲツないもので、一緒に居て楽しいとかならまだ可愛いもの、知識だとか金だとか話題だとか人脈だとか自尊心だとか優越感だとか、その人と一緒に居て何らかの欲求が満たされるからこそ一緒に居るわけよ。何も為さない関係のために、時間や金を費やそうとは思わないでしょう。
 特にそれが性的なものに関する欲求であれば、どちらかが与えもう一方が享受する訳ではなく、他のものと比べると平等な形でメリットを与え合えるという意味で、とてもバランスがとれたものになる。
 私の場合はレズビアンでもバイセクシャルでもないから、恋人以外の異性との関係においては、『チャンスさえあれば一度まぐわってみたい』とお互いに思う程度には魅力を感じながらも、決してそこには至らない程度にしかその情熱を持ち合わせていないときが、一番良い関係を保てるような気がするんだ。だけど一線を越えてしまったとしたら、その関係がどうなってしまうか解らない。
0719
 京葉線が止まったり徐行したりして、一時間少々で住む筈の実家に帰る道程が、二時間半もかかってしまった。やっぱり実家になんて帰るもんじゃないなと後悔しながら、最寄り駅からさらにバスに乗り継ぐと、見た目には同い歳くらいの子が割と多く乗車していたのだけれど、知っている顔は殆ど無かった。見知っていたのは二つ三つ上の、たいして仲良くもなかった地味な先輩くらいだから、誰に声をかけるでもない。寂れたな、と思う。
 だけど、バスを降り立ったら夏の星座がくっきりと浮かび上がる夜空がそこにあったから、こんなに近い故郷があって少しだけ良かった。

(で、明日ちょっと用があるから帰ってきたのですが、今宵はやはりインターネットで。実家に帰ってきたからとてこういうのを見るのというのも、頭がおかしいと思いました。)
0718
 価値観が相似形だとか共通の趣味だとか本当に僕のことを解って呉れるのは君だけだとか言うよりも何考えてるのか読めない何処まで行っても理解できない何時まで経っても信用できないからこそ私は貴方のことが気になって気になって仕方がないし愛してやまないのです。
0717
 何度も何度も「さようなら」を言い合って傷つけあうことよりも、傷つくのが怖くてたった一度も「さようなら」を言えないことのほうが、よっぽど胸をグリグリと苦しめる。
 甘い思い出と、苦い思い出の、一番違うところ。
0716
 「片想いのまま終わった恋」なんて、余りに言い方が美し過ぎて。本当は、知ってるんでしょう。単にまぐわい損ねて惜しい事したものだから、ほんの少しの未練を持っていただけってことをね。
 四年前のあの夜、「好き」なんて言葉は必要無くて、「好き」かどうかが重要ではなくて、単に津田沼辺りの裏寂れたラブホテルの空室を探すことで、確かに二人の気持ちは一瞬だけ重なった。全部満室だったから、何も起こらなかっただけの結果論。あの時空室があったら、今の私たちがどうなっていたかなんて、考える必要も、もう無い。
 そんなことを忘れたような顔をして、でもちっとも忘れていない空気でもって、少しだけ手を繋いで歩いた。これでもう二度と会えないような気がしたけれど、私もアナタも相変わらずだし、私もアナタも今が割と幸せだから、四年前にそうしていたように、「じゃ、またね」とかなんとか言いながら、笑って私たちは別々の恋人の元へ帰っていった。
0712
 イエスタデイ・ワンス・モアなんかが、突如として頭の中に思い浮かんだりする夏のゆふぐれは、何故だか色々な種類のノスタルジィが私の心だとか頭だとかを取り囲んで、やるせないような、気持ち良いような、居ても立ってもいられない気持ちになる。
 こんなにお手軽で自由になった今日この頃では、自分の好きな唄がいつ流れるか、いつ流れるかとドキドキしながら、ラジオの前で待つときのときめきなんて、忘れてしまっても仕方無い。
0711
 御茶ノ水の聖橋辺りでは、地下鉄のくせにひょっこり地上に顔を出してしまう丸の内線と、我が物顔で山手線の内側を横断する総武線とが、交差する瞬間などをしばしば見ることが出来るのだけれど、ほんの少しもの悲しい気持ちになる。私が大学に入った頃には、まだ丸の内線には昔の真っ赤なボディをしたレトロな車体が走っていて、総武線はと言えば、「黄色い電車」という通称に恥じる事の無い、真っ黄色のダサダサな車体だった。それらが交差していた御茶ノ水の街は、とてもカラフルで風情があったのだろう、たぶん。
 今の丸の内線はシルバーに赤いライン、総武線はシルバーに黄色のライン。これではあまりに味気ない。子供の頃に夢想した21世紀の世界は、確かにシルバーを基調とした最高にクールでシンプルな街並みであったのだけれど、それに憧れなくなってしまった自分も、もの悲しい。
0710
 長い長い手紙を書いた。
 ともすれば、字を書くのも忘れてしまうのではないかと思うくらい、最近はきちんと字を書いていないことに気づく。考える速度よりもはるかに遅い書く速度は、とてももどかしい。おまけに私は、すっかり思ったような形の字も書けなくなっていたので、愕然とした。
 気の利いた一言でも良かったのかもしれない。書いている途中である種の後悔を感じながら、そんな事を考えた。だけど、敢えて言う機会のなかった言葉があまりにも沢山存在しすぎていて、とてもじゃないけれど、気の利いた一言には凝縮できない。私のしている事はとても野暮だし、読むほうからしてみればとても迷惑かもしれない。
 だからこそ、長い長い手紙を書いた。
 今は、こんな手紙のためにでも良いから、少しでも時間を浪費して下さい。
0709
 友達の弟が亡くなりました。
 ここでいう「友達」であるところの彼女と私とは、今年で付き合いも20年目となるので、幼馴染と言った方が相応しいでしょう。当然のことながら、小学校低学年くらいまでは弟とも一緒に遊んでいました。つまり死んだ弟というのも私にとっては幼馴染であると言えます。姉のほうとは今も細々と付き合いがありますが、弟のほうとはもう何年も会っていないかもしれません。私の中での弟君の像は、未だ声変わりしていない様な、絵に描いたようなやんちゃ坊主であるところの彼以外には思い浮かべる事が出来ません。そのあとの彼を知っているけれど、私の記憶は幼いころにしか戻れないのです。
 誰も何も語らないので此れは推測に過ぎませんが、「死んだ」という知らせが入ったとき、かなり壮絶な死に方をしたのではないかと考えました。
 そう考えた自分がとても哀しく、また、死んだときに人にそう思わせる彼が、まだ24年しか積み重ねていない人生にそういうイメージを重ねられてしまう彼が、とてつもなく哀しかったです。
 若さとかではなく。私が死んだときには、誰もが「この人は人生を全うしたから、まぁいいんじゃない?」と思ってもらいたい、自分のためではなく、残される人のために、そうありたいと本気で願いました。
0707
 「大体さ、生きていくことは『簡単』ではないけれど、『単純』な事だと思わない? それなのに皆、本当は単純な事を無理にこねくりまわして小難しくする事で、生きている意義だとか、自我だとか、自尊心だとか、そういうのを見つけようとして、それでも上手くいかなくて、落ち込んで、死にたくなったりするのよね、自分の意志で生まれてきたわけでもないくせにさ。それって無駄じゃない?」
「君の考えは、とても古いよ」
「そうかしら?」
「古いよ。しかも10年遅れてるとかそういう単位じゃない。1万年くらい遅れてるよ」
「石器時代的?」
「そうだね」
「そうかもしれない。それでもいいわ」
0706
 誰かが言ってた。
 「信じる者は救われる」んじゃないんだよ、「信じる者は足元をすくわれるんだ」なんて。あの時は笑って聞いていたけれど、それって本当かもね。そうだよ、信じる気持ちが強ければ強いほど、裏切られた時の傷もまた大きい。どう考えても当然の話。
 あたしには根性なんて全く無くて、いつだって、辛いことがあったらすぐに辞める覚悟がある。精神的にもマゾじゃないし、全然打たれ強くもない。それでいて、あたしはバカにもなり切れない、ただの女なんです。
0704
 『もし出会うのが5年遅かったら、私は迷わず彼を生涯の伴侶に選んだだろう』と私に思わせた人が、かつていた。それから5年経った頃、私は迷った挙句、彼と繋いでいた手を離してしまった。
 『10年前に出会っていたら、きっと私は彼に恋をしただろう』と思わせる人とも出会った。10年前に戻る事は出来ないので、その真偽の程は解り得ないけれど、今は恋に落ちないという事だけが確かな事実。
 5年前の私も10年前の私も、私であると言う事には何ら変わりないのに、ほんの少しだけ時が積み重ねた何かによって、バランスが崩れたり、保たれたり。あの彼と出会うのが早すぎて、その彼と出会うのが遅すぎたとしても、今の私はちゃんと幸せなので、過去の自分にそれを教えてあげられたら私も少しは楽に生きられるのだけれど、教えたら逆に何も面白くなくなってしまうので、私はこの夏もただ黙っている。
0702
 気温が体温に近づいて行く程、私の身体は溶けて行くような、浮遊するような、流れて行くような、拡散するような、とても楽な気分になったような錯覚を起こす。
 このまま消えてなくなってしまえば、とても楽なのに。
 このまま消えてなくなってしまえば、誰も悲しんだりしないのに。

 もしもある夏に、私が急に居なくなったなら、私と一緒に喜んでください。
 ――彼女はようやく、念願の風に成れたのだ、と。
0701
 夏を愛するようになったのは、きっと初めは夏が好きだったからではなく、夏がとても楽しかったからなのだろうけれど。
 もうあの場所には立つこともなく、もうあの時一緒にいた誰かと会うこともなく、今度来る夏が楽しいものであるという確証もなく、それでもやっぱり夏が来るのが嬉しいと思う。幾つの夏を通り過ぎたとて、夏は夏。君は君。僕は僕。変わりそうで変わらないものが沢山あるということを、歳を重ねるにつれて身体が覚え始める。