011 「C・ジャック」泉麻人 2002/11/28読

 私の敬愛する文化人の一人である泉麻人氏です。いつもは氏のコラムを愛読していますが、たまには小説もということで。
 大学卒業を目前にしてモラトリアムに留まりたい気がしている青年の、「自分を変えたい」願望みたいな物語と認識して読み進めましたが、泉氏特有の小道具へのこだわりや、ものの考え方のなあなあ感が、いかにも80年代的若者像のリアルな姿なので(BGMは岡村靖幸の「カルアミルク」みたいな)、気がつくとロールプレイングゲームのように、主人公と一緒になって冒険を楽しんでしまわざるを得ない状況になります。実際、あからさまに現実の中の非現実として描かれているのに、リアルに楽しめてしまうのです。舞台がコンビニというのが、最も大きな後ろ盾。
 そうやって引き込んでおいて、全く予想外の結末を持ってくるなんて。私は思わず身震いをしてしまいました。意外とすんなり現実を受け止めているなあなあな主人公よりも、読者である私のほうが衝撃を受けてしまうという。使い古された手法で巧みに心を揺さぶるオカルト仕立てです。いやん。
 物語自体がエンターテインメント性に富んでいるので、これは文章というよりもむしろ映像で見たいなあと思ったら、とうの昔に映像化されていたようです、やっぱり。レンタルビデオ探そう。


012 「白い人・黄色い人」遠藤周作 2002/12/3〜4読

 狐狸庵先生の、ごく初期の作品です。遠藤周作の作品は、私は今まで、実はエッセイしか読んでこなかったのだけれど、それは、キリストや外国人にあまり興味が無い所為かもしれません。そうして、そのことを氏の「黄色い人」で実感せしめられたのでした。
 彼の作品に描かれる黄色人、つまり日本人の信仰観というものは、私のそれと驚くほど一致しています。神という存在についてはいろいろありますが、日本人は比較的、神にすがることをしないし、それゆえ神に縛られない。何が正しいとか間違っているとかではなく、単純に風土と歴史が編み出した国民性のようなものと認識します。もちろん、日本人にもクリスチャンはいますが、「どっちでもいいよ」というのが私の正直な感想であり、彼の描く黄色人らしい考え方かもしれません。
 「白い人」のほうは、純文学的なテーマとアプローチでもってかかれており、外国人の話である所為か、普通に楽しめる小説でした。でも、興味が無くとも一度は聖書を読んでみなければならないなと思いました。


013 「人間ぎらい」田辺聖子 2002/12/5〜6読

 「白い人・黄色い人」とのコントラストがあまりに強い作品で、あの後にこれを読むことにした自分も面白いなあと思ってしまったくらいです。たった一度の背信行為で一生を台無しにして苦悩し続ける白い人に対し、この短編集に描かれてる日本人ときたら、あまりにトンデモなのです。浮気、二重結婚、お手軽なラヴアフェアー、などなど、など! だけど、それらはちっとも悪いこととして描かれておらず、彼女の描く登場人物は、「まあ、それはそれでがんばるしかしゃあないわ」といった姿勢です。これは、意外とものすごい仏教的なのかもしれない、と思いました。私は仏教も解らないので、これも今後のお勉強の課題にしておきます。
 ところで田辺氏は、実際にそういう仕事をしているせいもあるかもしれないけれど、古文を現代語訳したようなつくりの文章を書くひとだと、私は常に感じます。人についての描写よりも、大自然の素晴らしさやご飯の美味しさについてのこまかな描写で、あらゆることを語れるお方です。
 「もののあはれ」という言葉を、いつも思い出します。


014 「海になみだはいらない」灰谷健次郎 2002/12/7読

 まあいわゆる児童文学なのですが。灰谷健次郎さんの作品は、大人が読んでもじわーっとキてしまう作品ばかりです。というよりも、むしろ「子供が読んで理解できるのかしらん」などと思ったりします。が、そこはそれ、子供は子供で楽しめる要素もあるのだと思います。
 ちょうど私が小学校に入るか入らないかの頃に書かれた短編が集められているので、当時の小学生である登場人物と、当時の私の年齢が、とても近いのです。そういう文化的な時代背景もあって、うわぁっと子供の頃の記憶が蘇ります。
 子供の生きている世界は、物理的には大変狭いものです。けれど、大人の生きている世界よりもはるかに濃密です。一日の時間はとても長いし、毎日いろいろな事件があります。今の私は、気付かないまま通り過ぎているものの、如何に多いことか。世界が曇ってしまったのではないことくらい、本当は知っているのだけれど、いつのまにか私は、それを世界のせいにしようとしてしまう。
 読み終わって、すこしだけ世界に優しくなれました。


015 「優しいサヨクのための嬉遊曲」島田雅彦 2002/12/10〜11読

 私は島田雅彦はあらかた読んできたのですが、なぜか読み逃していたデビュー作。ようやく読むことが出来ました。良くも悪くも、随所に若さが溢れんばかりの作品でした。確立されている島田ワールドが既にしっかりとここにあり、のちの作品でさらに花開くための土台とも言えましょう。しかし20年前の大学生が既にこんなのを書いてしまっているという事実は大変せつないです。
 同時収録の「カプセルの中の桃太郎」からも同じことを感じましたが、この時代の若者というのは、時代の狭間にあるような気がします。60年代を引きずっている人や、標準的な70年代文化をもつ人に、少しだけ80年代的空気が入ってきているというニュアンスに解釈してみると、丁度良い感じです。それが、『優しいサヨク』というものの考え方であり、『カプセルの中』という場所なのでしょう。
 それは、10数年後の私たちの時代とは、一線を画しているようにも見えますが、実はこれがさらに閉塞的な解放(カプセルの誇大化?)、大いなる個人主義に向かったことで、90年代文化が成り立ってきたような気もしました。
 しかし島田氏はエロいです。