色の無い眼
 
 或る若い男の子が、私の眼を褒めてこう言った。

   『目ヂカラが、ある』

 私はそれを聞いて、折角褒めてくれた彼には申し訳ないことだが、フッと全く別の人のことを、その人にまつわるエピソードを、思い出してしまっていた。


 十九歳の秋。数え上げればきりが無いほどの数々の事情から、私は毎日にとても退屈していた。また、そんな鬱屈を消化する術も知らなくて、ただ春が来るのを、座り込んで待っていた。
 私は当時、或るコミュニティに属し、そこから抜け出す機会をうかがっていた。だから、なるべく人と信頼関係を築かぬよう、できるだけ目立たぬよう生きることに努めていた。そんな私にわざわざ近づいて来る人が居るとは、正直、思いもよらなかったのだけれど、そんな風変わりな人が、実際にふらりと現れたのだった。

 彼は私よりも3歳年上で、彼と同い年の恋人と一緒に暮らしていて、当時の私から見たら、ひどく大人だった。まるで山田詠美の小説みたいな声のかけ方をしてきたのも画期的だった。
 彼と恋をする積りは、一切無かった。だけど、彼の薀蓄話を聞くのはとても楽しかった。ラリーグラハムが如何に格好良いか、芥川の有名でない作品が如何に素晴らしいか、落語の世界が如何に深いか。芸術とは、食とは、歴史とは、エトセトラ。

 当時の彼より遥かに年上になった今の私から言わせれば、彼の言うことの殆どはあまりに若く、むしろ下らないことばかりだったかもしれない、と思う。ともあれ、熱っぽく語るのが大好きな彼は、聴くのが比較的上手かった私に色々と語りたがり、いつしか毎晩電話がかかってくるようになった。10枚もの便箋に、ぎっしり書かれた手紙も貰った。どれもこれも、面白かった。
 多分、そんなものにも簡単に染まってしまうほどに、その頃の私は本当に無色な存在だったのだと思う。

 或る冬の日、隅田川のほとりで、彼は私に言った。
 おまえの眼には存在感が無い、と。
 強いオーラが無い、とも。

 仮に、それが冷たく言い放たれた言葉だったら、私は救われたのかもしれなかった。だけど彼の声は、眼の存在感も強いオーラも無い私を、まるごと包み込もうという優しさに満ちていて、それが私を傷つけた。
 彼は私ではなく、私の無色性そのものを求めていただけだったのだ。

 彼との関係は、恋愛のようなものになったりならなかったりしながら、少しずつフェイドアウトした。次の春が来る頃に、私は抜け出したかったコミュニティを抜け出すことに成功し、自分の好きな場所へ幾らでも行けるようになったし、自分が一緒にいたい人を選んで一緒にいられるようになった。信頼関係も遠慮なく築いたし、惜しみない自己表現をしてもまったく構わなかった。人の話に耳を傾ける暇も無いほど好き勝手に生き始めた私には、もう彼の薀蓄話は必要なかった。彼は彼で、こうなった私に聞かせる話など、もう無いと思った筈だ。

 何年かが経って、私の眼を「目ヂカラがある」と認識する人も現れた。それは、単に或るコミュニティーを抜け出したことが原因なのか、それとも、それを含めて重なってきた歳月の成せる業か。よく解らないけれど。

 あの人だったら、今の私の姿に何を思うだろう。(2001/11/14)