ダーティ・ブラッド
 
 十代の終わり頃から、何度となく聴きつづけたCDがある。私の中で、少なくとも五年以上は『世界で最も好きなアルバム』という地位を動かなかったという、究極の名盤。あれだけ長く、しかも飽きることも無く、ずっと聴きつづけることが出来たCDは、今のところ他にない。しかしここ数年、あの頃とは恋人や生活や色々なことがすっかり変わってしまった為か、随分遠ざかっていた。
 そのCDを、久し振りに出してきて聴いた。
 日本人のバンドによるものだが、すべて英語で歌われている。当時の私は学生現役だったのだから、英語など今よりは身近にあった筈なのだが、殆ど意味も考えずに、ただ毎日彼らの歌を口ずさんだ。すると、当然のように歌詞を覚える。聞き取ったまま歌詞を書き取れるくらいの語彙力はあったらしく、今では意味も良くわからないような言葉が、歌を聴けば、ちゃんと言葉が文字で頭に浮かぶようになっているから不思議だ。

 久々に聴いているうちに、そのCDの中の一曲が妙に気になり、頭の中をぐるぐると回るようになってしまった。ヘッドフォンを耳から外して他の事をしていても、ずっと流れている。次第に、「他の事」が疎かになって、頭の中で歌詞を追っている自分をふと見つけてしまう。このままでは良くない。
 私は、気を静めるために、その頭に流れている曲の歌詞を、すべて書き出してみようと思った。スペルには自信はなかったが、想像していたよりも簡単に書き出すことが出来た。それを眺めて私は「ふむ」と小さく唸る。
 日本語訳してみよう、と考えた。
 そうして手を付けてみたところ、スペルの記憶には殆ど間違いが無く、おかげで辞書を引くのにも苦労しなかった。かくして、ほんの十数分で日本語訳詞が出来上がったのだが、これを読んで愕然とした。
 かつての私が思い描いていた歌詞の内容と、全く違うのだ。

「私の人生なんてあなたにとってはゲームなのだ」
「傷つけあうばかりでどうして愛し合えないのだろう」
「どうしたらあの気違いじみた日々を正当化できるだろう?」

 各フレーズの解釈は殆ど間違っていなかった(そもそも、決して難しいものではなかった)。これらのフレーズを、以前の私は、愛に溺れて傷ついて疲れ果てた女性が、それでも愛を信じたいと願うような歌だと思い込んでいたのだった。
 ところが、きちんと訳してみると、それは全くの勘違いである。というか、むしろとんでもない思い違いである。なぜなら実際は、戦争で殺人を犯した人間の、己の運命に対する悔恨の歌だったのだ。これはなんというか、見当違いも甚だしい。あまりにも失礼ではないか。

 しかし、愛も戦争も根本は同じだからとも考えられないか。
 どちらも。人が、他者と真剣に対峙しなければならないものである。本気になればなるほど人生を賭けなければいけなくなるものである。そして、その渦中にあるときは傷つける側も傷つけられる側も必ず痛い思いをするものである。そうだ、だから私は勘違いの解釈をしていたのだ、などと言って、自分の間違いを正当化。こんなのも、悪くない。
 私が毎日悩んでいるようなこの問題を、国のために人を殺すことも辞さなかった自分の過去を責める人の苦悩などと一緒にするなんて、ひどくおこがましい事は百も承知なのだけれど、ね。(2001/12/11)