明日も、きみと
 
 酒を呑める、というのは自分にとって唯一と言って良い取柄なのだから、それを活かすのは当然だ。どこへ行くにも酒を介在させるし、誰と会うにも酒を介在させる。誰だか良く解らない人とどこだか良くわからない場所に行くにも、とりあえず酒があれば何とか成る。そうやって私は生きているし、これからも生きていけそうだ。

 親に隠れて初めて友達と酒を呑んだのは、中学二年。早熟ではないが、遅くも無い、普通のスタートだったと思う。高校に入ると、クラスや部活の打ち上げでライトな居酒屋(白木屋とかつぼ八とか)という場所で呑むことを覚え、大学に入ってからはダイニングバーやショットバー。それに、ライブハウスだとかクラブなんかでの酒も覚えた。なぜかキャバクラなんて場所にも行ったし、ストリップを見ながら呑んだこともある。勿論、友達の家で朝までボトルを開けたり、公園で缶ビールなんていう青春シーンも有り。何でもあった。
 大学を卒業してからは、とにかく食事というシーンにアルコールというものは欠かせなくなり、各国の料理に各国の酒、などというグルメ的楽しみも可能な収入源を得る傍ら、毎日の晩酌は当然の事、今じゃラーメン屋、牛丼屋、カフェに行ってもファミレスに行っても、なお呑まずにはいられない酒。
 酒が好きなのかどうかも解らなくなるくらい、今や酒というのは私にとって、生活に浸透した習慣なのである。

 恋人とのデート。恋人には秘密のデート。盛り上がった合コンも、つまらなかった合コンも。気心の知れたパーティーや、知らない人ばかりのパーティ。行く度に酷く緊張するオフ会(オフ会!?)。女友達との語りの小道具。年に数度の旅の夜。めでたい席、悲しい席。いつもの仲間だったり、友達の友達の友達だったり。泥酔して介抱されたり、泥酔されて介抱したり。尊敬できる人、できない人。私を好く人、嫌う人。女とやることしか考えていない男、女には興味の無い男。逆の女もまた然り。知らない国の言葉を話す人、日本語を話す外国人。おごって、おごられて。誘って、誘われて。同じ時間に同じ場所で偶然呑んでいたと言うだけの理由で、杯を交わした数々の人。杯だけじゃなく色々と、交わした数々の出来事。愚痴もあり、惚気もあり、人生相談もなんでもありで、泣きながら、笑いながら、憤慨しながら、踊りながら、絶叫しながら、それでも呑んだし、これからも呑む(体を壊さない限り)。

 そうやって色々と考えてみると、酒を呑み始めて干支が一回りしたところで、私は既に、軽く千人ほどの人と杯を交わしているかもしれない。
 私は元々、決して人脈が広いとは言えない。単純に友達は少ない。子供の頃から、友達なんて多ければいいというものじゃないと思っていた。今も、なるべく普段は人と会いたくない。自分の時間を静かに握り締める喜びが、一番幸せかもしれない。そんな私であるからこそ、この杯を交わした人数は、驚愕せざるを得ない数字なのだ。

 もちろん、七割は顔や名前が思い出せない。事実だけが、記憶のどこかにあって、それには意味があるかもしれないし、意味など無いかもしれないし、そんなことも全く解らない。ただ、酒が好きなのは当然のこととしても、酒を通じて人を見るのが好きなのかもしれない、と思う。酒を呑んでいる人を見るのも好きだと思う。美味しそうに、という形容がつくならば、さらに大好きだと思う。だから、どこまでも貪欲に。もっともっといろいろな人といろいろな酒を呑んでいきたいと思う。
 だから、カンパイ、しよう。(2001/12/31)