その瞬間に彼は何を見たのか
自分の犬を殺しかけたことがありました。
私の家に来たとき、彼はまだ生後一ヶ月くらいでした。非常に人懐こく、コロコロとよく動く玩具のような柴犬でした。
十歳の私にとって、犬を飼うのはそのときが初めてで、だけどとにかく昔から犬が欲しくて堪らなかったので、彼が家にやってきたときに、どんなに狂喜乱舞したことか、わかりません。
いろいろなところ――とはいえ小学生の行動範囲などたかが知れてはおりますが――を一緒に散歩して歩き、いろいろな食べ物をちらつかせては芸を覚えさせました。その忠実なる性格はあまりに愛しく、私はますます彼に夢中でした。
ある日、私はかねてから夢見ていたことを実行に移そうと考えたのです。
それは、草むらで自転車のカゴに彼を座らせておいて、私が自転車を漕いでやるということでした。ごく普通の、少女らしい発想だと思います。実際にそうしている犬を公園の広場で見るたびに、いつか自分もあれをやってみせたい、と思っていたのでありました。
そしてその日、いざ彼を自転車のカゴに乗せると、私はおもむろに自転車を漕ぎ出そうとしました。彼は、きっと今まで感じたことのない風を受けて喜ぶに違いない、と思っていたのです。
しかし彼は、動き出した謎の乗り物に恐怖を覚え、慌ててそのカゴから飛び降りたのです。
しかも運悪く、動き出した前輪の前に、彼は落ちてしまったのです。
彼は緊迫した甲高い声で何回か吼え、私は慌てて漕いでいた自転車を止めました。私も子供でしたので、身も軽かったでしょうし、反射神経も鈍っていません。彼の腹を思い切り轢く5ミリ直前のところで、私が動かそうとしていた前輪は、止まりました。本当に、あと一瞬遅かったら、私は彼を轢いていました。まだ仔犬である小さな彼の内臓を、自転車の重さで潰してしまうところでした。
全ての神経を集中させて前輪をストップさせたところで、私は、全身に冷や汗が滲み出たのを今でも忘れません。兎に角、頭が真っ白でした。次にすべきことは、彼をその場所から待避させることだとは解っていたのですが、体が動きませんでした。その結果、彼は自分の身体が轢かれる5ミリ直前の状態を、しばらく続けなければいけなかったのです。
もう、彼は甲高い声で吼えたりはしませんでした。
彼の黒い瞳は、私の目をじっと見つめていました。「轢くのか? 殺すのか?」という挑戦的な光を含んでいるようにも見えましたし、その後起こる展開については全てを諦めているかのようでもありました。彼とそうしてしばらく見詰め合ってから、私はようやく我に返り、自転車を遠くに追いやって、彼を抱きしめました。
こんなに幼いのに、もう彼は生きることを断念せざるを得ない覚悟、というものを知っていたように見えたことに、私は動揺していたと思います。動物的な生の概念というのは、きっとそれが正しい。
結局彼はその6年後、原っぱに落ちていた火薬か何かを食べてしまい、短い生涯を終えました。そのときに私は立ち会うことが出来ませんでした。
しかし、彼がそのときどんな眼をしていたかというのは、よく解るような気がするのです。(2002/10/18)
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