top掌~短編


カール

 伸治が教室に現れた瞬間、その場の空気は一瞬ふっと静まって、それから、朝だってのにありえないくらいの爆笑に包まれた。
「やっべ、マジで誰だかわかんなかった!」
「どうしちゃったんだよ、おまえー」
「つーか、本当に誰?」
 男の子たちは、みんな無遠慮に伸治の頭を触りながらはやし立てた。伸治も伸治で、ヘラヘラしながらそれに答えている。
「へへ。俺さ、ずっと前から一回コレやってみたかったんだよな」
 私は教室の隅っこで一人、その様子を眺めていた。いや、眺めていたというか、呆気にとられていたせいで、みんなみたいに笑えなかっただけだ。
 けれど、そんな私のことも、クラスの女の子たちは放っておかない。
「ちょっとぉ、アレ、いいの?」
「彼氏があんなに変わっちゃって、好きでいられる?」
 そんな言われようも仕方ないと思うほど、伸治のストレートパーマ姿は確かに衝撃的だった。

 一限開始のチャイムが鳴っても、私たちのざわめきは収まらなかった。むしろ、騒然とした教室の中では、チャイムが鳴ることになんの意味もなかった。やがて地学担当の教師が教室に現れたけれど、彼もまた伸治の顔を見るなり大雑把に笑った。
「イメチェンですか。これは随分とまた......ちょっとイメージが変わりすぎますね」
 先生の慇懃な言葉は、ますますみんなの笑いに拍車をかける。
「似合わないかなあ」
 伸治はフランクな口調で口を尖らせつつ、それでもとても満足そうな顔をして席に着いて、おもむろに鞄から教科書を出しながら、隣の席にむっつりと座っている私に、ようやく小声で訊いてきた。
「なあ、俺、似合わない?」
「そんなことはないけど......」
 私は、伸治の目を見ずに答えた。

 先月の席替えで隣の席になったのをきっかけに仲良くなって、私のほうから告白して付き合い始めた。カップル成立から、ちょうど二週間だ。
 その前から、私は伸治のことが気になっていた。彼の笑顔は、人の心を癒す力を持っているような気がする。その笑顔を二倍素敵に見せてくれたのが、昨日までクリクリとカールしておでこの真ん中まで持ち上がっていた前髪だったのだ。あのお茶目な前髪は、伸治の可愛い笑顔を惜しまずに見せてくれていたし、人なつっこいキャラにすごく合っていた。
 だから、私には伸治の変身が納得いかないのだ。あんな、針金の簾みたいな前髪じゃ、笑顔がよく見えない。
「ないけど......何?」
 一応私の評価を気にしてくれているのか、伸治は少し不安げな顔で聞きかえした。私は少し言葉を探してから、答える。
「なんか、わざとらしいストレートって、イヤ」
「わざとらしいって......だって、わざとやってるんだよ?」
 伸治はけらけらと笑った。そりゃそうだ、わざわざ美容院に行ってお金を払ったからこそ、こんなに見事なストレートになったのだ。だけど、納得できないものはできない。
「でも......ありのままの伸治で良かったのに」
「その言葉は嬉しいけどさ。でもほら、コンプレックスなんて、できる限りなくしたほうがいいじゃん? 俺はさ、子供の頃から天然パーマのことでずっと悩んでたから、やっと念願のストレートになれて、すっげー嬉しいよ」
 授業そっちのけで私に話しかける伸治は、そのコンプレックスとやらを克服したおかげなのか、自信が漲っているようにも見える。
「コンプレックスねぇ......」
 かろうじてそれだけ言うと、私はいつの間にか先生の文字が増殖していた黒板に目を移す......フリをした。けれど、黒板に書いてあることなんて、頭に入ってこない。私が見ていたのは、壁の向こうにある、伸治も学校の友達も知らない私の姿だった。

 臭い物に蓋をするように、隠していた事実。
 中学まで、性格が暗くて友達がほとんどいなかったこと。ましてや彼氏なんて絶対にできそうになかったこと。はっきり言って、教室にいるのかいないのかも解らないような自分の存在感が嫌で嫌でしかたなかったこと。すべては、母親譲りの腫れぼったい目がコンプレックスだったせいだ。
 登校拒否になりかけていた私に、母は自分も若い頃に目の不格好さに随分悩んだことを教えてくれた。
「あの頃は、今と違って整形なんて気楽にできるものじゃなかったのよ。あんたはこの時代に生まれただけでも恵まれてるわ。お母さんができなかった分まで、めいっぱい青春を楽しみなさい」
 そう言って母が私の目の前に置いたのは、プチ整形の費用だった。
 私はその日から、自分が生まれ変われることを信じながらなんとか中学に通い、中学卒業から高校入学の間の休みに、こっそりプチ整形をしたのだった。
 手術は驚くほど短時間で終わり、私の目は念願の二重になった。おかげで、高校での私はすっかり明るくなって、友達もたくさんいるし、伸治という彼氏だってできた。睫毛パーマもマメに通っているせいか、パッチリ目が羨ましいと言われることも多い。
 それなのに、なぜ私は伸治みたいに堂々と笑えないのだろう。

 ふと横を見ると、まだ私の反応を気にしてくれていたのか、伸治が私に向かっておもむろに笑顔を作る。カールした前髪が簾になったところで、やっぱり伸治の笑顔がとびきり素敵なことに変わりはないみたいだった。



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