top掌~短編


みるく

 東の空は、とてもキレイな白色に染まっていて、それは雨雲というよりも、白い雲が各所から集まってきて重なり合っているかのような美しさのように思えた。わたしたちの車が、中央道を東へ東へと進んで行くと、そのうちフロントガラスに小さな雨粒が時折ぶつかって来て、ようやくそれが雨雲なのだと気付くくらいに明るかった。
「あー、降ってきちゃったなあ」
 コバヤシが、嬉しくも悲しくもなさそうな顔で、言う。

 わたしは今日、二十五歳になった。そして、それは同時に、隣でこの車を運転しているこの男と、すったもんだの末にようやく付き合い始めて、まる四年の記念日でもある。今年は、ちょうどそれが土日に重なったこともあって、わたしたちは二人でちょっとした贅沢をしようと、勝沼への一泊旅行に出かけていたのだ。
 ちょっとした温泉、ホロホロ鳥の名物料理、果実狩り、そしてワイナリー巡り。こんなに近場で東京のことを忘れて楽しめる観光地があることに感謝しつつ、わたしたちは、それはそれは満足な一泊を過ごしたのだった。
しかし、帰り道を走りながら【東京都】と書かれたプレートを見つけたとき、わたしは一人で「東京都突入!」と叫んで、口笛を吹いた。昨日は「東京を離れて癒しの温泉!」などとはしゃいでいたわたしを思い出したのか、コバヤシは運転席でクスリと笑って言った。
「ユキは本当に東京が好きだなあ」
「うん、好きだね」
 東京都に突入したとはいえ、まだまだ都心部には遠かった。けれど、流れてゆく景色が確実に東京の色を帯びてくるさまを、わたしは助手席から眺めながら、楽しむ。コバヤシはわたしの隣で、買ったばかりの愛車を操縦することに心を砕いていて、それは玩具を与えられたばかりの子供みたいで、可愛い。そう思いながらチラリと見た瞬間、彼は突然言った。
「どうして、」
「え?」
「どうして、そんなに東京が好きなの」
 そんなこと、改めて聞かれても、上手く答えられない。わたしは、黙った。
 ただ、あのひとのことを、わたしは思い出していた。

 もう、五年も前の話になる。
 二十歳になってまもなく、わたしは家出をしたことがあった。ほんの二ヶ月あまりのことで、しかも、親が連絡先を知っているという中途半端なものではあったけれど、それでもわたしは確かに家出をしていた。そして、その時お世話になった人が、カナコさんという女性だった。
 彼女はよく酒を呑み、色々な人と会い、借金をしたり水商売をしたりしながら、東京で生活を営む女性だった。わたしがまだ、コバヤシとの関係を、友情なのか恋なのかも解らずに悩んでいた頃に、押し付けることはなく性愛について色々教えてくれたひとでもある。そして、何よりも美人で色気があった。彼女は、わたしの中では、絶対に超えることの出来ない憧れの女性であり、同時に、東京の象徴のようなひとだった。
 何がきっかけだっただろう。わたしは彼女と暮らしてきて、ふと何か違和感を感じ始めた。そしてその時、彼女に聞いてみたくなったのだ。「どうして大学に入るためだけに東京にきたのか?」と。
 彼女は、東京には色々なものがあって、自分の才能を開花させるチャンスも大いにあるから、と答えた。そして、わたしにも同じような質問をした。けれどもわたしは、上手に答えることが出来なかった。千葉というベッドタウンで育ったわたしにとって、東京に行くのは当然のことで、そこに理由など無いような気がしていたのだった。
 良し悪しではなく、わたしとカナコさんの間にはどうしたって相容れぬ隔たりがあり、だからどんなに憧れても彼女のようにはなれないのだと、わたしはその時悟った。そうして、すごすごと千葉に帰っていったのだ。

 少し雨が強まって、コバヤシはワイパーを動かし始める。高速沿いの街の景色が開けてゆくにつれ、空は白から灰色に近くなっていった。しかし、それでもわたしは東京に近づくに連れ、心が浮き足立つ。
 今なら、解る。
 わたしだって、結局同じだったのだと。東京には、何でもある。それを求めて人が集まる。東京では、人が集まることで、今日もまた何か新しいものが生まれる。だから、また人を呼ぶ。私の場合は、たまたま親がそれを目的に、ベッドタウンに家を構えた。ただそれだけの原理。そして、
「コバヤシと会えたからかなぁ」
わたしは、呟く。
「は? 何だよ、突然」
「だから、東京が好きな理由。東京がこんなに大きな都市で、いろんな人が集まって、だからいろんな出会いがあって、そういう中で、その、なんていうか」
「ん?」
「つまり、たいせつなひと、との出会いが、ね、たくさんあるから。だから、いつのまにか東京がたいせつな場所になったんだと思う」
 柄にも無くそんなことを言うわたしに、コバヤシは笑った。わたしも自分の言っていることが恥ずかしくて、「笑うな!」などと言いながら、彼を横から小突く。照れる私をフォローするように、コバヤシは言った。
「日本一の巨大都市だからな」
「そうそう」
 なんだかよく解らないけれど、わたしたちは笑いあった。

 カナコさんは、東京でどんな才能を開花したのか、大学の四年目の留年が決まった途端、結婚をして自主退学したと、噂に聞いた。その後の生活については、何も知らない。けれど、東京にいても、どこにいても、とにかく幸せでいてくれるといいなと思う。
 わたしたちを乗せた車は、順調に、幸せの詰まった巨大都市に近づいてゆく。



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