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山手線ゴー・ラウンド・アンド・ラウンド
信じ難いかもしれぬが、私は神である。自分でもよく解らぬが、たぶんそうである。何しろ、下界からの「神様おねがいします」「神様助けてくださ
い」「神様どうすればいいでしょうか」などの声は、すべて私に届いているのだから。ただし、それらの声が届いたからと言って、私には何も出来ぬ。私の仕事
は単に下界の人々が因果に則って生きているかを監視し、それに背いている者を見つけ次第上司に報告書を提出することだ。あとはその上司やさらに上の者が審
判を下す。従って、その上司やさらに上の者こそが人間の思うところの神なのかもしれぬが、私にとっては単なる鬼上司である。考えてみたまえ。もし神がたっ
た一人なら、どうして地球上のすべての生物の因果を監視できようか。我々も地上の会社組織と同様、実務は現場の者が担当する。世界各地の天上には私のよう
な神が多数存在し、それぞれが管轄の因果を監視しているというわけだ。ちなみに私の管轄は日本という島国の中でも人口が多い東京の、港区・品川区。割と花
形の地域である。
因果というのはつまり、悪事を為したのにのうのうと幸福を貪る者や、逆に血の滲むような努力をしているにも関わらず何の報いも受けずにいる者がおらぬか
ということなどを監視しているわけで、人それぞれの背負う運命なるものを私は知っている。お嬢さんの好きそうな、運命の恋もその一環である。人々が因果に
則って相応しい相手と結ばれるかどうかも、私にとっては重要な仕事なのだ。
私が監視している恋の例を挙げようか。門山沙織二十六歳、OL。上中里の自宅から、高輪にある某企業勤務。職場の最寄り駅は地下鉄の白金高輪駅だが、乗
換の煩わしさから地下鉄を使わず、JR田町駅からダイエットも兼ねて毎日一キロほど歩いて通勤する。学生時代につきあい始めた二歳年上の男性と結婚の話が
出始めているが、五年つきあったというだけで結婚して良いのか迷っている。かといって他に結婚したい人がいるわけでもなく、その男への愛情もあるので断る
理由もないので、来年には式を挙げることになる。
彼女はまだ知らぬが、本当に結婚すべき相手は、高橋充弘という二十九歳の学校教諭である。彼は地下鉄泉岳寺駅からほど近い私立高校で数学を教えている
が、川崎の自宅からやはり乗換の煩わしさを理由に地下鉄を使わず、品川駅から一キロ少々歩いている。三年前に合コンで知り合ってつきあい始めた一歳年上の
女性から、三十路を理由に結婚を迫られており、それほど結婚願望も感じぬまま押し切られ、早ければ年内にはその女と入籍を済ませることになりそうである。
沙織と充弘は、互いの職場は五百メートルと離れぬところにありながら、全くお互いの存在に気付いておらぬ。このまま行くと因果に則っていない為、私は報
告書を提出するべきところであるが、少し未来に彼らは出会うことになるため保留している。五年ほど後になるが、山手線の田町と品川の間に新駅が出来ると、
彼らは毎日同じ駅を利用するようになり、ふとしたきっかけで知り合う。あとは運命の二人なのだから、恋に落ちるのは簡単だ。
気になるのは、新駅が完成するのは沙織が最愛の一人息子を産んだ産休明けになることと、充弘の妻がなかなか離婚に同意せぬことである。二人が現実と運命
を戦わせなければならぬ苦悩を思うと、出来れば彼らが結婚する前に出会わせてやりたい。しかしこの二人はまったく真面目な性格で、例えば仕事のあとふと周
辺を散歩してみることも、定期券に記載されている区間以外に出かけることもほとんどない。いくら私が監視するためだけに存在する神とはいえ、これはもどか
しいことであり、もし朝の通勤電車でどちらかが一駅だけうっかり乗り過ごしでもすれば、二人が出会えるよう取りはからってやりたいとも思うのだが、彼らは
真面目なので電車を乗り過ごしたりせぬのである。
彼らに限らず、ここ最近の世の中は情報が交錯したり効率ばかりを重視する風潮の為か、自らの因果を見極めることの出来ぬ者が急増しており、我々の仕事は
忙しくなるばかりである。一旦は因果から逃れたように見えても、結局は私の上司の力により人々は因果に囚われ続けることになるのだから、早めに見極める力
を養ってほしいものである。
......ああ、因果というと嫌われてしまうのだった、言い直そう。自らの手で切り開かずにいた運命は、のちに自らを苦しめることとなる。だから、出来る限り
自分で運命を切り開いてほしい。たとえばもう一駅電車に乗ってみるとか、いつも歩かぬ道を歩いてみるとか、そんなことでも良い。これは私の仕事の効率化の
為に言うのではない。
そこに君の運命が転がっているかもしれぬことを、私は伝えたいのである。
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