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山手線ゴー・ラウンド ―浜松町―
仕事の関係で東京に来ている、と俺が連絡すると、由樹はとても懐かしがって、会いたいと快く言ってくれた。
就職して早々福岡での勤務を言い渡されたのが、もう三年も前のことだ。遠距離恋愛に耐えられなかったわけではないが、俺は早速浮気をして、その挙げ句浮気相手を妊娠させてしまった。
あの頃の俺は、由樹に「結婚することになった」と一言電話するのが精一杯だった。自分の責任とはいえ、由樹を手離したいとは思っていなかった俺にとって、その報告はあまりに不本意だった。しかし彼女はたいして俺を責めなかった。いい女だった。
断腸の思いで現在の妻と結婚したが、俺は幸せな家庭を築こうと努力したし、それは成功している。生まれた子供も元気に育ち、もうすぐ二歳になる。
しかし、東京本社への出張があると解ったときから、俺は由樹に連絡をしようと思っていた。大学時代に殆どの時間を一緒に過ごした由樹は、俺にとっては元彼女である以前に大切な友人で、会うのは自然なことだと思った。
水曜から金曜まで三日間の研修だが、その間は夜も接待や懇親会があるので、由樹との約束は土曜にした。昼に飯でもごちそうして、ほんの少し話でも出来れば良かった。土曜夕方の飛行機も予約しておいた。タイムリミットを設けなければ、自分の意志が信用できなかった。
予定通り、俺は由樹と土曜の昼前に私鉄の駅で会った。大学の最寄り駅だ。俺たちはかつてよく行った安くて旨い洋食の店で、かつてよく食べたオムライスを
注文した。バイトの女の子は変わったが、店の様子も味も変わらなかった。それから店を移って、今度は学生時代に敷居が高くて入れなかった喫茶店でコーヒー
を飲んだ。旨かった。
俺たちの会話は思い出話に終始していた。近況を話すのを意識的に避けていたのかもしれない。
午後三時を過ぎたので、俺はそろそろ羽田に向わなければと立ち上がった。
「浜松町まで見送りにいく」
由樹はそう言いながらジャケットを羽織った。見送られるのは悪い気はしないが、珍しいと思った。あっさりとした由樹なのに。
山手線に乗り換えてからも、思い出話は止まらなかった。別れがたい、と俺は思った。話し足りないし、封印したはずの感情が呼び戻されるのを感じる。彼女もそう思っているに違いない。
二人の思い出が染み込んでいる景色を抜けて、電車は浜松町に着いた。
重い足取りでJRの改札を出る。どんな顔で、どんな別れの言葉を言えばいいだろう。帰らないでと懇願されたら、拒絶出来るだろうか。と、俺が考えた瞬間だった。
「実は今から結婚式の打ち合わせなんだ」
満面の笑みを湛えて、由樹が言った。
「え? いつ、どこで?」
俺は動揺を隠すことも出来ず、おろおろしながら訊いた。
「十月に、竹芝のインターコンチ。でも呼んであげないよ」
「解ってるよ」
「気をつけて帰ってね」
「お前も。幸せになれよ」
「解ってる」
由樹は笑顔で手を振った。俺は嫉妬と安堵の混じった複雑な気持ちで、東京モノレールの改札をくぐった。「おめでとう」を言い忘れたが、それで正しいような気もした。
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