top


山手線ゴー・ラウンド ―日暮里―

 母の七回忌に、夫と子供を連れて墓参りに来た。念願の孫を抱いてまもなく逝去してしまった母の墓前に、今年小学生になった実紅の顔を見せる。晴れ渡った空から母の喜ぶ気持ちが伝わってくる気がした。
 私の父母が眠っているのは日暮里周辺に密集している寺の一角だ。懐かしい空気。千葉に家を構えてから東京に出る機会はすっかり減ってしまったけれど、上中里で生まれ育った私にとって、日暮里あたりは故郷と言って良い範囲の場所だった。
 私の両親にとっても往年を過ごしたこの場所は特別で、四十年前に彼らの第一子――私にとっては会ったことのない実の兄にあたるが――が三歳で病死した 時、いつか自分たちもここに入る覚悟で墓を建てたようだった。十年遅かったら、都内に墓を建てるのは一苦労だったかもしれない。
 墓参りを終えてすぐ帰るのは、もったいなかった。私は実紅に提案した。
「お天気が良いから、お散歩しようか。少し歩くと大きな公園があるのよ」
「ほんと? すべり台ある?」
 上野公園にすべり台はない。夫は私の顔を見て、苦笑しながら言った。
「すべり台はないけど、パパがアイスでも買ってやるよ」
 かくて私たちは日暮里から谷中墓地を突っ切って上野公園まで歩くことにした。
 歩きながら、私は若い頃の甘い恋のことを思い出す。上野の高校に通っていた頃、初めて付き合ったあの人と学校帰りのデートを重ねていたのが、谷中墓地だった。初めて思いを通わせた人と、初めて手を繋ぎ、初めて目を閉じて口づけた思い出。
 夫や実紅に後ろめたいことはない。夫にだって私と知り合う前にそんな恋があっただろうし、実紅だって十年もすれば同じことを経験する。だから、わざわざ口にしない秘密を持て余しながら、私は実紅の手をとって歩く。

 ふと足下に小さなボールが転がってくる。実紅がすぐに私の手を振り解き、それを拾うと、実紅より少し小さいくらいの男の子が、ててっと駆けてきて叫んだ。
「ぼくの」
 実紅はお姉さんらしく、「はい」と言ってそれを男の子に返してあげた。小学校に入ってから、少ししっかりしてきたようだ。娘の成長ぶりに、流れた年月の大きさを知る。私の青春時代は遙か遠い。けれど、これが今の私の幸せだ。
「どうも、ありがとう」
 男の子が深々とおじぎをするのを微笑ましく見ていると、向こうから男の子の父親らしき人が「すみません」と言って駆け寄ってきた。
 その人と目が合う。
 見覚えのある顔だった。かつてここで口づけを交わした、あの人の。二十年後ならばこうなっているだろうと想像していた通りの顔だった。まさかとは思ったけれど、驚く顔をすることもできず、私は目を伏せて、会釈だけした。
 すれ違っていく男の子と、その父親の会話が耳に飛び込んできた。
「ねえ、パパ。昔ここで遊んだなんて嘘でしょう? だってここ、お墓ばっかりだよ」
「ん? ああ......昔はこんなところで遊ぶのだって、楽しかったんだぞぉ」
 あの人もわざわざ口にしない秘密を持て余しているのだ、と思いながら、私は再び実紅の手を取って歩き始めた。

鶯谷西日 暮里



コメントする