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山手線ゴー・ラウンド ―御徒町―
御徒町の駅に降り立った時から、既にそこにはアメ横の空気が漂っていて、香織はそれが嫌いではないどころか、かなり好きだ。が、それは誰かと一緒ではなく一人きりで楽しむべきものだと思っている。
一人暮らしをしている香織の部屋に並んでいる紅茶やリキュール類。それに、化粧品や香水。どれも百貨店などで買えばかなりの値がする海外の高級品だが、
香織はそれらをすべて破格で売っているアメ横で揃える。それを誰かに話すつもりはない。よく考えれば解ることだ。入社二年目で一人暮らしのOLがそんなに
金を持っているわけがない。そこまで考えない人には、高級品が並んでいると思わせておけばいい。
つい先日、桂一へのクリスマスプレゼントとして贈ったジッポも、このあたりの店で定価のほぼ半値で買った。愛情の大きさが金額で量れるはずはないし、安
く手に入れることは悪いことではない。同じ金額で買えるなら、できるだけ良いものをプレゼントしたほうが良いと香織は思っている。けれど、安く買ったこと
は桂一に対して正直に言わない。
「これね、40%引きで買えたのよ」
言おうと思えば言えただろう。けれど、香織はそれを言わずに桂一を銀座の百貨店に連れて行き、プラチナ製のピンキーリングを買ってもらい、その後以前から予約していたフレンチのコースを桂一の支払いで食べた。そういったことは今までにも何度かあった。
香織の頭上をゆっくりと山手線が走ってゆく。アメ横という通りは、高架に沿っている割には電車の通る音が気にならない。上野と御徒町の間の距離が短くて
電車がゆっくりと走っているせいかもしれないし、電車の音に負けないくらいの活気が、この通りにあるせいかもしれない。そんなことを思いながらふと前方を
見て、香織は驚いた。向こうから桂一が歩いてくるのが見えたのだ。
間違いない。いくら人混みの中とはいえ、香織が自分の彼氏を間違えるはずがなかった。
(こんなところで会いたくないな......。この前のジッポ買った店もすぐそこだし)
香織は人混みに紛れて、素知らぬふりをして桂一とすれ違おうと決めた。実際、年の押し迫ったアメ横は自由に歩けない程度に混雑していて、長身の桂一が目立つのはともかく、香織などはよほど目立ったことをしない限り風景に溶け込んで気付かれないだろう。
その作戦は上手くいった。香織は桂一と1メートル少々の距離ですれ違いながら、気付かれずに済んだ。
すれ違ってから、香織は静かに桂一を振り返る。そして気がついた。桂一は、隣を歩いている女の腰に手を回している。
(まさか、桂一が......浮気?)
香織は思わず進路変更をし、桂一と女の背後に回った。こんなことをする自分が惨めだとは思ったが、何もせずにはいられなかったのだろう。混雑を活かして、二人の後を離れないように追いかける。二人の会話を盗み聞こうとしていた。
「そんなこと言うけどさ、桂ちゃん、まだ前のカノジョと別れてないんでしょ」
「ちゃんと別れるよ。いつも高級品ばかり身の回りに置いてる女には、もう疲れた」
問いつめる女と言い訳する桂一の声は、喧噪と頭上を通る電車の音に紛れて、香織にははっきりと聞きとることができなかった。
もし香織の耳にそれが聞こえていたら、何かが変わっていたかどうかは解らないけれど、とにかく今の香織には、二人の後ろ姿を見ながら舌打ちをすることしかできなかった。
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