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山手線ゴー・ラウンド ―上野―

 私は大学を退めたばかりだった。
 家にいるのも肩身が狭いし、ちょっと外に出てみたって地元では特に見るところも無い。何をするわけでもないけれど、ちょうど初秋の良い季節だというのもあって、私は毎日京成線を十分と少し乗って、上野公園まで行くことにしていた。
 平日昼間の上野公園というのは不思議なところで、いったい世の中にどうしてこんなに暇な人がいるのだろうと思うくらい、たくさんの人がのうのうと時間を 過ごしているように見える。こんなところで煙草でも吸っていれば、私にも良い考えがひとつくらいは浮かびそうな気がして、気に入った。
 鳩はあまり好きではないけれど、この公園には大量に生息しているので、自然と視界に入ってきてしまう。私は暇なので、彼らの観察を日課とすることにした。
 考えてみれば鳩というのは不思議な存在で、誰かに飼われているというわけではないようでありながら野鳥とは違うし、鑑賞する動物とも違う。もちろん食用の鳥でもない。手紙を送らせたりするくらいだから、多少は役に立つ鳥なのかもしれないけれど。

 やがて、バサバサと鳩の集団が一つの場所に集まってきた。よくよく見れば、向こう側のベンチで中年の男がパンくずをばらまいているのだった。人のことは 言えないけれど、平日の昼間に公園で鳩に餌をやる四十男なんて、尋常じゃない。しかし鳩たちはそのオヤジの存在にはつゆほどの疑問も持たず、旺盛な食欲を 隠すこともなく、たかるだけたかって、やがてそれ以上の餌がないことがわかるとまた公園中に散らばっていった。
 その散らばった鳩の一部だろうか、ふと気がつくと私のすぐ近くで一羽の鳩が他のもう一羽に追いかけられている。こんなところで求愛だ。
 食欲を満たしたら、今度は性欲ですか。私はふっと唇の端だけで笑った。鳩も人間と変わらない。
 鳩を観察していて一番楽しいのは、やはりセックスに至るまでの過程だ。もっとも、鳩に限らず、人間の恋の駆け引きなんてものだって同じだ。端から見ていると、これほど馬鹿馬鹿しくて楽しいこともない。
 雌は逃げ、雄は追う。しばらくそんな追いかけっこを繰り返していたかと思うと、彼らの間で何か話が成立したのだろうか、急に雌が逃げるのを辞めてしまう。これが、人間で言えばベッドインの瞬間なのかもしれない。
 それから彼らは、仲睦まじそうにお互いを突つき合い、それから嘴と嘴を絡め合う。そして、雄は雌の背中の上に乗ろうとするけれど、雌は少し焦らす。また二羽は嘴を絡め合い、しばらくじゃれ合っていたかと思うと、突然、雄が素早く雌の上に乗って羽を二三回ばたばたさせる。
 事は一瞬で終わるのだ。
 前戯と本番の時間的な割合で言えば、人間よりもずっと丁寧なセックスだ。見ていれば毎回同じ事をやっているというのに、私はいつも感心しながらその一部始終を見入ってしまう。自分のセックスと重ね合わせたりして、ちょっとあそこが濡れてしまう......。

 と、突然後ろから肩を叩かれた。
 振り返ると、さっき鳩に餌をやっていた四十男だ。にやにやして私を見ている。
「鳩の交尾なんて、そんなに目を潤ませて、まじまじと見るものじゃないだろう」
「だって、面白いんだもん」
「それよりも、本当は人間の交尾の方が面白いんじゃないの?」
 オヤジは胸ポケットに何枚かの一万円札をちらつかせて私の手を握ってきた。その手は思ったよりも乾いていて、暖かくもあり、気持ち悪いとは全く感じなかった。
 私は上目遣いでオヤジの顔を覗き込んで、言ってみた。
「いくらくれんの?」
 オヤジは嬉しそうに私の隣に座り、肩を抱いてきた。自分が堕ちて行くのを感じるのも、そんなに悪くはない気がした。

御徒 町鶯谷



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