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山手線ゴー・ラウンド ―田端―
「上野に東京美術学校が出来た頃から、この辺りに文士が集まってきたそうですよ」
佐々木さんににっこりと声をかけられて、私もつい笑顔で答えました。
「東京美術学校......今でいう東京芸大ね」
自然な列を作り、それぞれに会話を挟みながらゆっくりと歩く男女十数名。これが散歩サークル『とらっく』の活動中の光景です。今日は田端文士村を歩いています。
私がこのサークルに入ったきっかけは、夫との離婚でしたが、三十八年連れ添った夫と離婚したのは、諍いがあったからというわけではありません。
夫は定年退職後、余生を郷里である鹿児島へ帰って過ごしたいと言い出しました。私は東京で生まれ育ち、夫とは東京で出逢って結婚しました。六十年も暮らしてきた東京を離れることなど、とても考えられません。
「ついてこいと言うわけじゃない。お前も息子を育て、俺が定年まできちんと働けるよう世話をする務めが終わった。残りの人生はお互い自分のために生きようじゃないか」
夫の言葉を私は受け入れました。確かに夫は私たちに不自由のない生活をさせるために何十年も身を粉にして働き、私は主婦という名の下に何十年も自分を犠牲にしてきました。あとは好きにさせてあげたいし、自分もそうしてみたかったのです。
しかし、いざ一人になってみると何もすることがありませんでした。それだけ夫や息子の世話に明け暮れていたということかもしれません。私が唯一趣味といえるのは読書くらいですが、それは一人の生活の中で黙々と続けるものでもありません。
もっと外に出なければと思い始めた頃、スーパーの掲示板で『とらっく』を見つけました。目的をもって色々な街を歩く散歩サークル、参加資格は六十歳以上の健康な男女。
「ここが有名なポプラ坂ですよ」
「随分と狭い路地なんですね」
私の隣は相変わらず佐々木さんです。このサークルの主宰でもある彼は、奥様をご病気で十年前に亡くされたそうで、独身である私に好意を持ってくださって
います。困りはしますが、悪い気はしません。一生ないと思っていた恋の駆け引きを、こんな歳になって楽しめるとは思っていませんでした。
「佐々木さん、道が狭いからって金子さんにくっつきすぎじゃないですか」
後ろを歩く人からの野次も楽しいのです。『とらっく』の活動は、若い頃に戻ったかのような時間を私に与えてくれるのです。
「見てください、このアパート」
「わぁ......」
佐々木さんの指さす先に、かつての東京の風景が蘇ってくるような、何とも懐かしい雰囲気の木造アパートが佇んでいました。木造の塀に『ポプラ坂荘』と書かれています。
「まだ人が暮らしているんですね」
窓に見える生活用品が、そこで生きている人の生活を垣間見せます。そういえば夫はこういった古い面影をそのまま残している街並が昔から好きでした。これを見たら、自分も住みたいなどと言い出すかもしれない――私がそう思ったのとほぼ同じ瞬間でした。
「こんなところには住みたくないですね」
佐々木さんが私にそう言いました。
私は、彼にアプローチされてまんざらでもなさそうにしていた自分を急にいやらしく感じ、それを隠すために言いました。
「まあ、ロマンのないお方!」
後ろを歩く人が色めきだちました。
「佐々木さんが金子さんに振られたぞ」
そんな野次も、私は楽しんでいます。
楽しんでいるけれど、どこか虚しくもあるのです。
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